泣けるまぁちゃんねる

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サッカー少年

一人の少年が進路希望欄に書いたのは、「ブラジル」だった。


ブラジルで、プロサッカー選手になることが、少年の夢だった…。


担任の先生は、激怒して職員室から追い出した。


サッカー部の先生には、「99%無理」と言われた。


少年は、「1%あるんですね?なら、僕はその1%にかけます。」と答えた。


少年は、15歳でブラジルに旅立った。


ブラジルのユースチームで、こんなことがあった。


少年がサッカーの格好をしているだけで、周りの人間は彼を笑った…。


サッカーが下手くそなのは、代名詞のように「日本人」だと言われた…。


だが、その少年は死に物狂いに練習を重ね、18歳でプロ契約を勝ち取った。


そして、ブラジルNo.1のサッカー雑誌の表示を飾った。


そして、青年は日本に帰国することを決意した。


次なる夢は、日本をワールドカップに連れて行くこと…。


93年に開幕したJリーグ。


青年は、時代の寵児となった。


Jリーグの初代MVPは、青年の名前が刻まれた。


彼は、こう思っていた。


思い切りサッカーをして、30歳過ぎたら頂点で引退しようと…。


94年のアメリカ・ワールドカップ予選、エースとして参加した青年だったが、ドーハの悲劇と呼ばれる、ロスタイムの失点で、日本の初出場を逃した…。


青年はその後、ワールドカップに行くための何かを掴むため、日本人で初めて、セリエAに移籍した。


そして、98年のフランス・ワールドカップ予選。


苦しみながら日本は、ワールドカップの出場を決めた…。


気がつくと、彼は31歳になっていた。


彼のワールドカップ予選の総得点は、27になった。


だが、ワールドカップ本選の代表に、彼の名前は記されていなかった…。


記者会見で、こう話した。


「日本代表としての誇りは、向こう(フランス)に置いてきた…。」


その年、チームから戦力外通告を受けた…。


彼は、一人考えた。


「誰も、自分の知らないところへ行きたい…。」


そして、彼はクロアチアに行くことを決めた。


練習初日、彼の眼に一人の選手が映った。


その動きを見て、「売り出し中の若手かな?」と思った。


しかし、その選手は大ベテランの選手だった。


彼の名は、ゴラン・ユーリッチ。


クロアチアを代表する、名DFだ。


自分より年上の選手が、誰よりも懸命に、誰よりも誇らしくプレーしていた…。
こんな質問をしてみた。


「どうして、そこまでやれるのか…?」


ゴランは言った。


「サッカー選手とは、年齢に関係なく、常に成長するものだ。低落など存在しない…。」


彼は思った…。


「どこまでも、走り続けよう…。」


2010年、彼はJリーグの最年長出場記録と最年長得点記録を更新した…。


ブラジル、日本、クロアチア、オーストラリア…。


様々な国でプレーし続け、夢を与え続ける彼に、日本人は尊敬を込めて、彼を「KING」と読んだ。


彼の名前は、三浦知良。


日本サッカーのパイオニアの名だ。


ある雑誌の企画で、ゴラン・ユーリッチから三浦知良に手紙が届けられた。


その中で、ゴランは、三浦知良に1番言いたかったことがあったという。


「日本のマスコミほどには、カズがフランスW杯に行かなかった理由を知らないけれど、その事実は聞いていた。カズは「監督に呼ばれなかっただけだ」と言っていたけど、その取り乱さない、事態を真摯に受け入れる姿勢に感動したよ…。


日本のW杯進出に大きく貢献したのはカズだっていうのに、それでもカズは、派手に抗議することもなかったんだよな…。


男だよ…。


それでこそ偉大なプレイヤーってもんだ…。
ところでカズと俺はその後再びノゴメット(サッカー)のおかげで再会することになる。


今度はJリーグ。


俺は横浜F・マリノス、カズは京都にいたんだよな。


アウェーの京都戦では3-1で勝ったけど、1点を決めたのはカズだった…。


カズ、これだけは言わせてくれ…。


俺は日本に行ってはじめて、カズという名前が何を意味するのか…、カズとはいったい何者なのかがわかったんだ…。」


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  1. 2014/06/13(金) 23:21:15|
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いまが一番幸せ

検査で喉頭がんと診断された年配の男性がいました。


しかし、彼は医師からの手術の説明にはまったく耳を傾けないで

「最後まで手術をしないで戦う」

と言って、手術の治療を拒みました。


新聞記者だった彼にとって、声を失う手術を受けると取材ができなくなるからでした。


しばらく、入院した彼はその後、手術をしないで自宅で療養することになりました。


しばらくして、彼が再び、入院することになりました。

病状が悪化してしまったので、手術をする必要があったからです。


痩せて、水さえも飲むことができなくなって、苦しそうに呼吸をしていた彼の姿を見て、

看護師さんは

「こんな状態になるまで自宅で過ごしていたのか…」

と彼の意思の強さに驚きました。

気管切開の手術を受けることになった彼は、看護師さんに

「負けました。病に負けました」

と一言だけ話をしました。


気管切開の手術を受けると声をだせなくなるので、これが彼の最後の言葉でした。


彼は若い頃から熱血新聞記者としえ仕事一筋で生きてきました。

全てを仕事にかけるような人生でした。

そのために、息子さんや家のことは全て奥さんに任せっきりだったようです。


以前に入院した時に看護師さんに

「取材、取材でいつも飛んで歩いているから、女房には苦労をかけた。

定年になって仕事を退いたら、取材旅行ではなくて、夫婦水入らずで温泉旅行に行きたい。

女房に楽をさせることがこれからの私の生きがい。

これからは女房との時間を大切にしたい」

と話していたそうです。


やがて、彼はガンの進行のために首から下の神経麻痺が起こり、手足が動かなくなりました。


彼の奥さんが時間のある限り、彼に付き添っていましたが、彼の顔からは笑顔が無くなって、

無表情になり、一点をみつめたまま、誰の言葉にも反応しなくなりました。


奥さんに

「主人が最近、全然、話を聞かなくなり、笑わなくなりました。

何を話しても無反応で夫が何を考えているか分かりません。

どうかなってしまったんですか?」


と相談された看護師さんは


「これからは女房との時間を大切にしたい」


と彼が言っていたのを思い出して

彼のこの気持を声が出せない彼の代わりに

伝えてあげようと考えました。




そして、奥さんがお見舞いに来た時に、

彼が奥さんと一緒に温泉に行きたがっていたことや、

本当に奥さんに感謝しているという彼の想いを伝えてあげました。


ふと、黙って聞いていた奥さんが彼の方を見ると、


彼の口が歪んで鼻水と涙で

顔中がぐちゃぐちゃになっていました。




奥さんは泣いている彼の涙をゆっくりと拭いてあげると


「私は今が一番、幸せよ

1日中どこにも行かないあなたのそばに

ずっと一緒にいられることが今まであった?


こんなに一緒にいられる時間持てて、

私は今が一番、幸せ。


迷惑とも苦労しているとも、ちっとも思わない」


と泣きながら、震える声で彼に話しかけました。


その後の男性はこれまで見たこともないような穏やかで優しい顔つきになりました。




その1週間後、彼は奥さんに見守られながら静かに亡くなりました。


看護師さんは

「私もこの夫婦のようになりたいと思って、

この時に彼の奥さんが自宅の庭から摘んで来たバラをいただいて

私の家の庭に植えたんです。


毎年、咲いてくれる花を眺めながら、

伝えなければ伝わらない想いがあることを忘れないようにしています」

と話してくれました。
  1. 2014/05/11(日) 14:25:52|
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かわいそうな像



3/20は上野動物園の開園記念日

それにちなんで、上野動物園を舞台にしたみなさんも一度は読んだことがある有名な話を紹介します




上野の動物園は桜の花ざかりです
風に散る花.お日さまに輝いている花 
その下に、どっと人が押し寄せて動物園は込み合っています

さきほどから長い鼻でラッパを吹き鳴らし丸太渡りの芸当を続けている象の檻の前もうごけない程の人だかりです
 
その、賑やかな広場から少し離れた所に、一つの石のお墓があります

気の付く人は余りありませんが、動物園で死んだ動物達をお祭りしたお墓です

いつも暖かそうに、お日さまの光をあびています




ある日、動物園の人が、その石のお墓をしみじみと撫でながらわたくしに哀しい象のお話を聞かせてくれました


今,動物園には三頭の象がいます

ずっと前にもやはり三頭の象がいました名前を,ジョン,トンキー,ワンリーと言いました
 
その頃、日本はアメリカと戦争をしていました

戦争がだんだん激しくなって、東京の町には朝も晩も爆弾が雨のように落されました
 
その爆弾がもしも、動物園に落ちたらどうなる事でしょう

檻が壊されて恐ろしい動物たちが町へ暴れ出たら大変な事になります

それで軍隊の命令で、ライオンも虎も、豹も、熊も、大蛇も、毒薬を飲ませて殺したのです


いよいよ三頭の象も殺される事になりました

まずジョンから始める事になりました

ジョンはじゃがいもが大好きでした、ですから毒薬を入れた、じゃがいもを普通のじゃがいもに混ぜて食べさせました

けれども利口なジョンは、毒薬の入ったじゃがいもを長い鼻で口まで持って行くのですがすぐにポンポンと投げ返してしまうのです

しかたなく毒薬を注射する事になりました

馬に使う、とても大きな注射の道具が支度されました

ところが象の体は大変、皮が厚くて太い針はどれもポキポキと折れてしまうのです

しかたなく食べる物を一つもやらずにいますと可愛そうにジョンは、十七日目に死にました
 

続いて、トンキーとワンリーの番です

この二頭は何時も可愛い目を、じっとみはった心のやさしい象でした

わたしたちは、この二頭をなんとかして助けたいので遠い仙台の動物園へ送ろうと考えました

けれども仙台にも爆弾が落とされて、町に象が暴れ出たらどうなる事でしょう

そこでやはり上野の動物園で殺す事になりました

毎日、餌をやらない日が続きました

トンキーもワンリーもだんだん痩せ細って元気がなくなっていきました

その内にげっそりと痩せこけた顔に、あの小さな目がゴムまりのように、ぐっと飛び出してきました

耳ばかりが大きく見える、悲しい姿にかわりました

今まで、どの象も自分の子供のように可愛がって来た象係の人は「あぁ…可愛そうに可愛そうに…」と、檻の前を行ったり来たりして、うろうろするばかりでした
 

ある日、トンキーとワンリーがひょろひょろと体を起こしてて象係の前に進み出てきました

お互いにぐったりとした体を背中でもたれあって芸当を始めたのです

後ろ足で立ち上がりました
前足を上げて折り曲げました
鼻を高く高く上げて万歳をしました

萎びきった体中の力を振り絞ってよろけながら一生懸命です

芸当をすれば元の様に餌が貰えると思ったのでしょう

象係の人はもう我慢できません

「あぁ…ワンリーや!トンキーや!」と,泣き声を上げて餌のある小屋へ飛び込みました

走って水を運んで来ました、餌を抱えて来て象の足元へぶちまけました

「さぁ!食べろ!食べろ!飲んでくれ!飲んでおくれ!」と、象の足に 抱き縋りました


私達は、みんな黙って、見ない振りをしていました

園長さんも唇を噛締めて、じっと机の上ばかり見つめていました
 
象に餌をやっては行けないです、水を飲ませてはならないのです

けれども、こうして1日でも長く生かしておけば戦争も終って助かるのではないかと、どの人も心の中で神様に祈っていました


けれども、トンキーもワンリーも遂に動けなくなってしまいました

じっと体を横にしたまま、ますます美しく澄んでくる目で動物園の空に流れる 
雲を見つめているのがやっとでした

こうなると象係の人はもう胸が張り裂ける程、辛くなって象を見に行く元気がありません

他の人達も,苦しくなって、象の檻から遠く離れていました


遂に、ワンリーもトンキーも死にました

どちらも鉄の檻にもたれ鼻を長く伸ばして万歳の芸当をしたまま、死んでしまいました

「象が死んだあ!象が死んだあぁ!」

象係の人が叫びながら事務所に飛び込んで来ました

拳骨で机を叩いて泣き伏しました

私達は象の檻に駆け付けました

どっと檻の中へ転がり込んで痩せ象の体にすがりつきました

象の頭を揺す振りました足を鼻を撫で回しました

みんな、おいおいと声を上げて泣き出しました

その上をまたも爆弾を積んだ敵の飛
行機がごうごうと東京の空に攻め寄せて来ました

どの人も象にに抱き着いたまま「戦争をやめろ」、「戦争をやめてくれ…やめてくれえ…」と、心の中で叫びました

後で調べますと、タライ位もある大きな胃袋には一滴の水さえも入っていなかったのです




その三頭の象も今はこのお墓の下に静かに眠っているのです

動物園の人は、目を潤ませて話し終りました

そして、吹雪のように桜の花弁が散りかかってくる石のお墓をじっと見つめて撫でていました

  1. 2014/03/20(木) 18:28:02|
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「母からの手紙」

ソチオリンピックにて、見事個人で銀メダル、団体で銅メダルに輝いたスキージャンプの葛西選手


日本選手団の主将を務め、さまざまなプレッシャーの中での活躍に感動しました


そんな葛西選手を支えた話しを紹介します




母からの手紙
「絶対におまえは世界一になれる」


葛西選手は94年のリレハンメル五輪の前年に妹さんが再生不良性貧血という重病にかかりました


辛い治療を何度も受けたりドナー探しで大変だったと思います


妹のためにもぜひ金を取りたいと思っていたんですが残念ながら銀メダルでした


でも、妹さんは病気をおして千歳まで迎えに来てくれたそうです


葛西選手は、それまで誰にも触らせずにおいたメダルを、1番に触らせてあげたそうです


元気になってくれ、という願いを込めていたそうです


その時「ありがとう。次は金だよ」って
逆に励まされましたそうです


病気の妹に比べれば、自分は何も辛いことはない


そんな妹を支えに、98年の長野五輪へ
向けて気持ちを奮い立たせました


ところが94年の11月、大会で転倒して鎖骨を折り、しばらく跳べない状態が続きました


翌年の5月頃、ようやく完治して、ブランクを埋めるためにそれまで以上に猛練習に励み、通常なら300本跳べば十分といわれる夏に、900本跳んで再起を賭けたそうです



しかし、それが逆に災いして、その冬のシーズンで今度は着地の時に足を骨折してしまいました


練習のし過ぎで、腰や股関節に負担をかけ過ぎたのが原因でした


それから1年半くらい記録と遠ざかっていたんですが、そんな折に実家が放火に遭いお母さんが全身火傷で病院に担ぎ込まれた


なんとか一命は取り留めたんですが、火傷は全身の70%にも及んでいて、炎の熱で肺も気管も焼けていました


何度も皮膚移植を繰り返したんですが、97年の5月に亡くなってしまいました


後から入院中にお母さんの書いた日記が出てきたそうです



葛西選手はそれを開くと今でもポロポロと涙が出てくるそうです


ああ、辛かったんだろうなあって 


貧乏と闘いながら必死で働いて僕たちを育て、ジャンプまでやらせてくれた母には、いくら感謝をしてもし足りません



金メダルを取って家を建ててあげる
約束を果たせなかったのが、
本当に残念でしょうがなかったそうです


入院中の母は、もう手も握れないくらい
ひどい状態でした


痛みは絶えず襲ってくるし、死の恐怖と必死に闘っていた


そんな中で、不調な僕を気に掛けて、励ましの手紙を送ってくれたんです


そこに書かれていたことは




「いまこの時を頑張れ。絶対におまえは世界一になれる。お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ。」と


いまでも大事な大会の前にはこの手紙を読み返しているそうです


見るたびにものすごく
大きな力をもらえるそうです
  1. 2014/02/18(火) 13:34:17|
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クロスカントリー

先日行われたソチオリンピック

いろいろ話題になった中で素敵な話しを紹介します




2014年02月11日に行われたクロスカントリー男子スプリント競技

ロシア代表のアントン・ガファロフ選手がレース中に転倒し、スキー板が折れてしまうハプニングが起こった

ガファロフ選手はそれでも立ち上がり 、何度も何度も前に進もうとするが、その度にスキー板の破損を悪化させ、終いには木っ端微塵となった・・・

もはやどうすることも出来ない状況の中、突如コース内に誰かが突然侵入してきました

その人は、実はカナダコーチであり、1本のスキー板を持ってコース内に飛び出し、ロシア選手にスキー板を手渡し交換したのである

ファロフ選手は競技を再開し、みんなとは大きく遅れたものの、無事にゴールすることができた

同じチームの選手ではなく、競技では敵チームとなるはずなのに、そのカナダコーチは迷わずスキー板を差し出したのだという

ちなみに、他の選手に道具を貸し与えるのはルール違反ではないので、失格にはならないそうです




カナダコーチへのインタビューで「見ていることができなかった。ロシア代表のガファロフ選手に母国で恥をかかせたくない一心だった」と思いを語ったのだという

素敵な話しですよね、さすがオリンピックですよね

しかし、この話しには続きがあります




実はこのカナダコーチの妻は元アスリートでトリノ五輪のスキー距離女子団体スプリントのチーム員だったそうです

その妻のチームメイトがトリノ五輪スキー距離女子団体スプリントの決勝戦でストックが折れてしまうというハプニングが起こったのだそうです

メダルのかかっている決勝戦

そんな中起こったハプニングによってメダルは絶望的と思われたが、その中でまさかの事態が!なんと決勝戦に出ているノルウェーのコーチがコースに飛び出て、カナダチームに新しいストックを渡したそうです


これだけではありません・・・実はストックが折れていた時にカナダは4位まで後退し、メダルの届かない順位にいました

そして、ノルウェーはカナダよりも前におりメダル圏内でした

このまま放っておけば強いカナダはそのまま脱落して順位を落とし、自国のチームがメダルを獲得するという状況下でストックを手渡したのです

その結果、カナダチームは順位を上げ、銀メダルを獲得

反面、自国のノルウェーチームは4位となりメダルを逃すこととなってしまいました




普通に考えたらオリンピックという大舞台で、メダルにこだわる人間ならば有り得ない行動です

そんな中行動は、まわりから誹謗中傷されることは間違いありません

が、しかしカナダ・ノルウェー両国で話題騒然となり、批判等をするのではなく、このコーチを讃えたそうです

カナダからはこのコーチに7400個ものメープルシロップが送られ、ノルウェー国内でもコーチが支援するガン撲滅慈善団体に270万円もの寄付が行われたそうです




この時のトリノ五輪の恩があったので、ソチ五輪でカナダコーチは飛び込んだのだと思います

さすがオリンピック
スポーツには国境はないですね
  1. 2014/02/14(金) 01:44:03|
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だからいつも笑顔で

今日から、ソチオリンピックが始まりますよね

楽しみです

オリンピック代表の上村愛子選手の話を前回に引き続き紹介したいと思います




ザー ザー ザー ザー


どうしてこんな音がしているのだろう
初めて聞くその変な音は、ちょっぴり恐怖だった。


「愛子、死んじゃうの?」
これは5歳の時に精密検査を受けたときのこと。


~生まれたときからわたしの心臓には穴があいている。
先天性心室中隔欠損症と診断され定期検診を行っていた。
1979年兵庫県伊丹市に生まれたわたし、人から愛される子になって欲しいとつけられた「愛子」
両親は愛子の身体に少しでもいいようにと兄とわたしを連れ空気のいい長野県に移り住む~


「愛ちゃん、スキーしんどい?運動しんどい?」

「全然しんどくない。楽しいよ!」

「だったら大丈夫、人それぞれ顔が違うように身体も違うんだと思えばいいよ。」


~もし、わたしの心臓に穴があいてなかったら、わたしは今頃まだ伊丹市にいたのだろうか?
最初から愛子の運命は決まっていたのかもしれないね。


初めてスキーを履いたのは3歳の時
プラスチックの板だった。
お母さんがいつも雪遊びにつきあってくれた。
それから兄と家で働いていた居候さんと毎日のように滑った。
いつも滑る前に「絶対国体選手になってやる!」と叫んでから滑った。
今思えばこれが呪文のような役目を果たしていたのかな


そして2001年国体に出場。
サブリミナル効果だっけ?違うかな。
小1で白馬へ。
そこではすぐにジュニアのアルペンチームに所属した。




実は転校してから中学生の初めぐらいまで、ずっといじめにあっていた。
練習に行くとわたしのグローブがなくなっていた。
必死で探したら雪がいっぱい中に詰められていて洗濯機の中でぐるぐる回っていたこともあった。
またある日はスキーがなくなっていた 。

やっとのことで探し出すと、ソールが石で削られてボロボロになってゴミのように捨ててあった。
目を疑ったけど正真正銘、わたしのスキーだった。

続けていたのは、やっぱりスキーが楽しかったからなんだと思う。
このことはずっと自分の中で処理するようにしていたんだけどスキー部をシーズン前にやめてしまったことからいじめの存在がわかる。

「愛ちゃんが、人に嫌がらせをされるようなことをしてないという自信があるのなら、そんなことに負けずに、もっと強くなりなさい。」

「用具だけでなく、愛ちゃん自身に危害を加えられるようなことがあれば、お母さんに絶対に言いなさいよ。そしたらお母さんが愛ちゃんを守ってあげる。」




わたしはいじめにあっている子どもたちの気持ちがよくわかる。
彼らが考えていることがわたしにはよく理解できるのだ。
いじめにあっているときの気持ちは、経験してみないと理解できないと思う。
助けを求めて解決できる問題ではない。
そして自分が悪くなくてもどうしようもないときだってあるのも事実だ。
「正義が勝つなんてウソだ。」と思ってたことだってある。
逃げたいばかりに死にたいと思ったこともあった。
死を選ぶことで、この苦しさから逃れられるんじゃないか、楽になれるんじゃないか、そう思ったのだ。
でも、死を選んでもなんの解決にもならないのはわかっていた。
その時は楽になりたくて逃げ出したい一心なのだけれど、その先にあるはずの幸せも、周りの人の幸せも、全て消してしまう。


あのころを思えばわたしはすごく変な性格だった。
あまり笑う子でもなかったし、考え方もかなり危なかった。
でもね、悪いことをしていない自信があったからがんばれたのだと思う。
悲しくて、つらくて仕方ないことだらけでも、強くなってがんばっていれば絶対に誰かが見守ってくれているはず。
もし、今いじめられている子がいたら…
つらい「現在」があっても誰にも平等に笑顔の「未来」があるはずだから。
  1. 2014/02/07(金) 13:31:10|
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なんでこんな一段一段なんだろう

5回目のオリンピック代表に決まった上村愛子選手

涙とともに「なんで、こんな一段一段なんだろう」という言葉を残したのは、2010年2月

4回目の五輪となったバンクーバーで4位になった時だった。

高校3年生でだった1998年長野五輪で7位となり、その後6、5位。

今度こそ、と期待されてシーズンの成績からいってほぼ間違いなしと思われて迎えたオリンピック。

後日、発表されたコメントを見てまた泣けました。

ソチオリンピック前に改めて読み直しました。







皆様へ

どうして、こんなにも沢山の人が
私を支えてくれるのに

なんで、結果は
残せないんだろう。

メダルはいつも
ちょっとのところで
届かない。


答えのない答えは
考えないほうがいいのか。
もしくは、開き直ったら楽になれるのか。

昨日の夜は
いろんな事を考え、眠れませんでした。


でも、考えたあげくに
自分の為だけに出した答えは
『私の人生の沢山あるストーリーの中で、それはメダルという観点での一つのお話』だという事。
だから、これはこれで、しっかり受けとめてまた、歩いて行けばいい。そう思いました。


私の友人が言ってくれました

難題のない人生は『無難な人生』
難題のある人生は『有り難い人生』

私はその後者を歩いてると。


オリンピックを夢見て
オリンピックでのメダルを夢見て
ずっと戦い続けてきました。

毎年、毎日、新しい考え方や新しい行動
いろんな自分を発見してきました。

自分のこうありたいと思うとおりの自分
自分の嫌いな自分

成功したときの喜び
失敗したときの悔しさ悲しさ
心が折れるとき
また立ち向かうとき


いろんな自分自身と向き合い
スキーの技術の成長と同じように
自分自身を成長させることができました。

ありがたい事だなぁと思います。



私にとって、オリンピックのメダルをとることは
この数年、自分自身に課せていた責任だったかもしれません。


周りの方からの大きなご支援とご協力。
それにお返しが出来るのは、やはり
結果を残す事がものすごく大切だと
思ってやってきました。


けれど、
それだけじゃないのかもと
少しは柔らかく考えられるようにも
なっています。

実際、
メダルを取れなかった事は残念でしたが
今、とても清々しい気持ちなんです。

私を支えてくださったみなさんは
最高にプロフェッショナルな人たち。

最高の環境で、最高の人、最高の道具に
支えられ、スタートからゴールまで
悔やまれる失敗をせずに滑り切れたことは
本当に幸せだったから。


私には、おおきな金メダルプロジェクトを
大成功に収める力は少し足りなかったけれど
その為の準備は万全だったし
「私たちの技術が世界一!」
と胸を張って滑ったことはたしかです。


皆で力を合わせて、皆でおんなじ目線で
一つのゴールに向かって頑張る過程、
自信を持って全力で戦えることが
なんて素晴らしい事なんだろうと思いました。

だからきっと、こんなに
清々しいんでしょうね。



あのターンを日本に教えてくれた
ヤンネさんに心から感謝します。

私を信じて、ときには周りと戦ってくれた
高野ヘッドコーチに心から感謝します。

まゆみちゃん、寒川さん、吉田さん、岳さん、飯田さん
チームのみんなに心から感謝します。

私が信頼をおいている、用具全ての
関係者の皆様に心から感謝します。

自分を支えてくださった、全ての皆様に心から感謝します。
日本チームを支えてくださった全ての皆様に心から感謝します。

18歳からずっと変わらずに私を応援し続けてくださった
北野建設の皆様に心から感謝します。

昨日は、最高に楽しかったです!
最高の舞台で、自分の技術に自信を持って
いいスタートをきり、私らしく滑り切って
ゴールができて、本当に幸せでした!

皆様、本当にありがとうございました。


皆様のご理解とご協力とご支援に
心から感謝します。


愛子


最後に。。

私と、私の家族をいつも助けてくださった
スポーツビズの皆様に心から感謝します。



http://www.youtube.com/watch?v=YpwqTa2H-v8&sns=em
  1. 2014/01/23(木) 03:15:25|
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忘れられないクリスマス

昨日にひき続きクリスマス特集です




22歳で結婚した俺は、嫁さんに幸せになってもらおうと、必死に働いた。


子供も2人生まれて、俺はもっと頑張った。


その甲斐あって、28歳で独立し、自分の会社を持つことが出来た。


33歳になった頃、普通よりはいい暮らしが出来ていたと思う。


嫁さんも子供も喜んでくれた。


だから、俺はもっともっと一生懸命働いて、会社を大きくすることを考えた。




しかし、そのツケは、俺の身体に降りかかった・・・


35歳の時に癌が見つかり、闘病生活が始まった。


と同時に、会社の経営も傾いていった。




37歳のとき、もう俺は死のうと思った・・・


こんな身体で、こんな貧乏で、でも何も出来ない自分が悔しくて、身のまわりを少し整理して、年が明けたら死のうって・・・


そんなことを考えていた年の瀬に、嫁さんと子供がクリスマスパーティーを開いてくれた。


貧乏だから、ケーキの変わりにドラ焼きで、その上にローソク立てて、小さいチキンもあって、シャンパンの変わりにコーラで、メリークリスマスって言っていた。


子供たちが楽しそうにはしゃいでいる姿を見たら、なんだか泣けてきた。


(俺がいなくても元気でやれよ)

そう心の中で思っていた。


もう何回もこうやって遊べないから、おもいっきり遊んであげた。




そして、子供たちが寝静まったあと、思いもしないことが起きた・・・


嫁さんにこう言われたんだ。


「あなたがどう思っているか知らないけど、私は今が一番しあわせよ」


俺はその言葉を聞いて、真っ暗に見えた世界に光が差し、「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」


何度も言いながら、その場で泣き崩れた。




そのクリスマスの夜、二度と死のうなんて思わないと決めた。


病気も経営も、闘ってからだと・・・




あれから5年、癌はどこかへ消えてしまい、会社も順調。


今年のクリスマスは何をプレゼントしようかと悩めることも幸せなんだ。


よいクリスマスを
  1. 2012/12/25(火) 23:28:11|
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理想の兄

昨年、クリスマスにまつわるお話しをいろいろ紹介させてもらいました

好評だったので今年も、泣ける話し、感動する話しをクリスマスに合わせて二つ紹介します






ある年のクリスマスイブのこと


ポールは、兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらった。


ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける少年が、そのピカピカの新車のまわりを歩き回っていた。


よほどその車が気に入ったらしく、ポールに話しかけてきた。




「この車、おじさんのかい?」


「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」と、うなずきながらポールは答えた。


少年はそれを聞いてひどく驚いた様子だった。


「えっ? おじさんの兄さんがくれたって?おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?うわあっ、すごいな?ぼく・・・」


と、少年は何かを言いかけたが、そのまま口をつぐんでしまった。


少年は、「ぼくにも、こんな兄さんがいたらなあ」と言いたかったのだろう、とポールは思った。


ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。




「ぼくね、おじさんの兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」


ポールは、まじまじと少年の顔を見つめていたが、自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。


「この車に乗ってみるかい?」


「本当?ウン」


車を走らせてまもなく、少年の目はキラキラと輝き始めた。


「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」


ポールは思わずニヤッとした。


きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。


しかし、その憶測はまたもやはずれた。




「あそこに階段がついている家が見えるだろう?そこでちょっと待っててくれる?」


少年は車を降り、駆け足で家に入っていった。


しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。




少年が身体の不自由な弟を背負って出てきたのだった。


弟を階段の一番下に座らせ、車がよく見えるように弟の身体を支えた。


「ほらバディー、見てごらん。さっき言ったとおり、すごい車だろ。そこにいるおじさんの兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。それも、まるっきりタダでくれたんだって。お前も、待ってなよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前にやってやるからね。そしたら、いつも話してるクリスマスのきれいな飾りを、その車に乗って見に行こうね」




それを聞いたポールは何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ、新車の助手席に座らせた。


目をキラキラ輝かせた少年もその横に乗り込むと、三人はドライブに出かけた。


本当にすばらしいクリスマスのドライブだった。




このクリスマスの日、ポールは聖書のみことばをしみじみ感じたのである。


『受けるよりは与えるほうが幸いである』




「こころのチキンスープ」愛の奇跡の物語
  1. 2012/12/24(月) 23:14:57|
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先生大好き!ありがとう

ビューっと風が吹く寒い日だった。


前日の夜、飼い犬のシロが死んだ。


私が生まれる前から我が家に居た、大きな真っ白の雌犬だった。


優しい性格で、私にとっては姉のような存在だった。


学校に行く道すがら、ずっと涙がこぼれていた。


二年生の教室に着いて椅子に座っても、心の中はシロの事で一杯だった。


先生が入って来た。


笑い声が大きい、とびきり明るくて、どこか私の母に面影が似ている沢先生だ。


先生は私の顔を見るなり、「どうしたぁ?」と聞いた。


私はしかめ面に涙を一杯浮かべていた。


答えようとしたけれど、「シロが・・シロが死んで…。」と言うのが精いっぱいだった。


先生は、「そうかぁ、今日は悲しい日やな。思う存分泣いてもええで。」


涙が次から次へとこぼれた。


そこが教室でも、皆が見ていても止まらなかった。


先生は普通に授業を進めた。


友だちたちも、先生も、それきり何も言わなかった。


私は何者にも邪魔されずに、枯れるまで涙を流す事が出来た。




私たちが通う山あいの小学校は、人数が少なくふたクラスしかなかった。


私は一年生から六年生まで変わらず沢先生が担任だった。


母に似ている先生が私は大好きで、何かと甘えたり、ひっついたりしていた。


うちは母子家庭だったので、母は働きに出ていて不在気味だった。


そのせいもあって、先生は「お母さん」のような存在でもあった。


実際私は先生の事を何度も「お母さん」と言い間違えたが、先生は「お母さんちゃうでぇ。」と笑いながら頭を撫でてくれた。


夏休みや冬休みになると、先生に会えないのが寂しくて学校に行ったり、先生の家に遊びに行ったりした。


先生は私が一人で突然訪れても、迷惑なそぶりも見せず、いつも優しく受け入れてくれた。


皆の先生なのだけど、私にとって特別な人だった。




六年生になって、冬を越した頃先生は病気になった。


丸くて艶々した顔が、見る間に細くなっていった。


私たちは心配で何度も「先生早く元気になってやぁ。」と言った。


2月に先生はとうとう学校を休む事になった。


担任は臨時で教頭先生が兼ねた。


卒業式の前日、先生から家に電話がかかって来た。




「卒業おめでとう!六年間、よく頑張ったなぁ。先生卒業式に行けんでごめんなぁ。」


わたしはその声を聞いて、すぐに涙があふれた。


涙声で「先生、卒業式にはこれへんの?」と聞いた。


先生は「一足先に電話で卒業式やね。声だけやけど顔が目に浮かぶで。又泣いてるんか?小さい時から変わらへん泣き虫やなぁ。でもそれは、美代の良い所やな。優しい証拠の涙やな。」




卒業式で沢先生の電話の事をクラスメートに話したら、一人ひとり、皆の家に電話があったらしい。


先生は私たち皆を心から可愛がってくれた。


卒業まで担任ができなくて残念だっただろう。




それから私たちは山を降りてマンモス校の中学生になり、部活や新しい友人との毎日に埋没していった。




高校に入り、大学生になり、その頃初めて先生が亡くなったと聞いた。


卒業式のすぐ後だったという。


なぜ知らせてくれなかったのか…。


今からでも先生のお墓にお参りしたい。


そう思って私は先生のご実家に電話をかけた。




先生のお母さんが出られて、先生の生前のご意志で子どもたちにはその死が知らされなかったのだと聞いた。


優しくて大好きな子どもたち、その門出を力いっぱい元気に祝ってあげたい。


先生の死を悲しまないで。


先生はいつも皆の事を見守っています。


お母さんはそれだけ告げて電話を切られた。




先生、私は涙をこらえる事もできるようになったよ。


悲しくても、それを乗り越える力も身に付けたよ。


2年生だったあの時、先生が思いっきり泣かせてくれたから。


今の私は悲しくてたまらなくても、先生の笑顔を思って笑う事もできる。


でもやっぱり、涙が少し頬を伝った。


優しい証拠の涙やね。

先生、ありがとう。


先生、大好き。




NTT西日本コミュニケーション大賞より

「先生大好き!ありがとう。」

美代(ペンネーム)
  1. 2012/12/21(金) 00:37:04|
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