泣けるまぁちゃんねる

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子供が生まれて来たときのこと

クリスマスに紹介した「感動が人を動かす」の木下さんの心に響く言葉からの紹介です。

木下さんは、塾の講師をしていたのでその時の話しです。




合宿は、塾にとっても大きなイベントで、合宿の成果によって合格率も変わってきます。

生徒達にとって、勉強漬けの日々が続く合宿は、つらく厳しいものです。

親元から離れ、一人で受験というものに向わなければなりません。

そんな苦しい環境の中、生徒のやる気を持続させることは難しいのです。

しかし、この厳しい夏の合宿を素晴らしいものに変えてしまうスタディアシスト(久保田学園グループ)という塾が兵庫県にあります。

この塾は、合宿に参加する生徒の保護者だけを事前に集めて、合宿説明会をしています。




「お母さん、合宿に参加する彼らは、あまり経験のない長時間の勉強をすることが目的で親元を離れます。
そこではとても心細いし、必死になって勉強をやる中でつらくなって、もう帰りたいと思ったり、悩んだりする子も出てくるのです。
あなたのお子さんが今まさにそういう状況にあると想像して、彼らを励ます手紙を今ここで書いてほしいのです」

その時に、まずお子さんの名前の由来を書いてもらいます。

その名前を命名した理由を書いてもらうのです。

するとお母さんたちはこんなことを手紙につづっていきます。




「あなたが生まれた時、それは○○病院の一室でした。
あの時、お父さんは仕事を休んで見に来たよ。
あなたが生まれてお母さんは本当に幸せだったよ。
こんなにうれしいと思ったことはありません。
でも、責任重大だとも感じたよ。
その時、お父さんと何日も考えました、あなたの名前を…
そして、私たちがあなたに願ったこと、それはたった一つです。
いつまでも、元気に、明るく、本当に幸せに人生を送ってくれたらということです……」

「…お母さんはあなたが一人で受験という関門に立ち向かうほど成長していることを、本当にうれしく思っています。
あなたが生まれてきてくれて良かった」

「お前が息子でよかった。
お前と出会えてよかった。
元気に帰って来いよ」




合宿も終盤に入り、体力的にも精神的にも限界がきて、「もうダメだ」と生徒たちが音を上げようとするその時です。

あのお母さんからの手紙を、サプライズプレゼントとして生徒一人ひとりに渡すのです。手紙を読んだ子どもたちの目からは、大粒の涙がポロポロこぼれ、彼らは号泣するのです。

先生も涙を流します。

お母さんたちのメッセージには、「ばんばれ!」などという言葉はひと言もありません。

「あなたが幸せならそれでいいの」

「いつでも帰って来ていいからね」

「こんな遠い場所にあなたが行って、お母さんは胸が締めつけられるような思いです」

「ずっとお母さんの子どもでいてね」




先生は生徒に「どうだ、帰るか?」と聞くのですが、子どもたちは泣いたあと、「先生、やります!」と言って、自らペンを握り始めます。

そんな変化をした生徒に、先生は語りかけます。

「そうか。でもその前に、この手紙を読んでどう思った?」

「感謝してます」

「それじゃ勉強する前に、今、心が熱いうちにお父さん、お母さんに返事をかきなさい」

生徒たちは、感謝の手紙を先生に渡して無事に合宿を乗り切るのです。




その生徒たちの手紙には…

「生んでくれてありがとう」

「育ててくれてありがとう」

「ほめてくれてありがとう」

「叱ってくれてありがとう」

「学校に行かせてくれてありがとう」

「一緒にいてくれてありがとう」

「お父さんとお母さんの子どもでよかった」

「ほんとうにありがとう」

子どもたちの手紙は「ありがとう」の言葉であふれているのです。

何度も何度も「ありがとう」が出てくるのです。
『涙の数だけ大きくなれる!』フォレスト出版




という話しです。

子供へのファーストギフト、それは命名。

名前に思いを込めて何日も何日も考える。

生まれたときは、明るく元気に育って欲しいとだけ思ってきたのに、大きくなるにつれ欲が出てきて、他の子はどうだとか、もっと勉強ができればとか、もう少し我慢があったらとか思うようになってしまう。

でも、この合宿はそんな親にとっても大切なイベントであり、もう一度、子どもが生まれた時のことを思い出して見つめ直すチャンスである。

子どもに「生まれてきてくれてどんなにか幸せか」と伝えた時に、子どもも、親に、「ありがとう」と感謝できると思う。

そんな絆が深まると思います。
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  1. 2011/12/29(木) 00:05:16|
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最後のサンタクロース

クリスマスにまつわる、泣ける話し、感動する話しを連続で紹介しましたが、最後に、切ない泣ける話しを紹介します




ティアラサンタ(←引用ブログの方です。今回紹介を承認してくださいありがとうございます)から皆さんに何かプレゼントをしたいのですが、いいものが思いつかないので、代わりに忘れられないクリスマスの思い出でも語ろうかと思います。




ネイリスト時代のお話です。

ネイルサロンにとって、12月は超繁忙期です。

朝から晩まで予約はパンパン。

休憩はおろか、トイレにすら行く暇がありません。

季節柄、新規のお客様も大勢いらっしゃいますから、正直言って全てのお客様を覚えていられるわけではありません。

でも、どうしたって忘れられないお客様も何人かいらっしゃいます。

その方は、そんな中のお一人です。

新規のお客様で、下の名前は「アカネ」さんでした。

予約の時間ぴったりに、その方は現れました。

すごくキレイなお母様に連れられて。

そう、その方は、まだ4歳の女の子でした。

お母様によく似て大きな目をした、ほっぺたの赤い、かわいらしい子でした。

そのお母様は、おっしゃいました。

「今日は、この子の爪をキレイにしてあげてほしいんです。」

「かしこまりました。では、簡単にお爪の形を整えてから、カラーリングしましょうか?」

「なんか、描いてほしいものがあるそうなので、アートもお願いします」

その子は、「たまごっち」の絵本を持ってきていました。

そこで、「たまごっち」のキャラクターを、3本の爪に描くことになりました。

アカネちゃんの隣にお母様に座っていただき、施術を進めていったのですが、その間分かったことがありました。

アカネちゃんは、口がきけないのです。

表情も変化がなく、ただお母様が一方的に話しかけているような状態です。

でもアカネちゃんは、興味深々といった感じで、あたしの手元をじっと見つめています。

その横でお母様が、「ほら、アカネ。すごいね。こんな小さな爪でも、たまごっち描けるんだね」といった感じで、優しい笑顔でアカネちゃんに話しかけ続けています。

お母様のおっしゃっていることはアカネちゃんにも聞こえているらしく、たまにお母様の方に目を向けては、また視線を手元に戻します。

間もなく、4歳の女の子の小さな爪の上に「たまごっち」のキャラクターが完成しました。

その女の子は両手をパーにした状態でじっとその爪を見つめていました。

お母様は「ありがとうございます。すごく気に入ったみたいです。よかったね。アカネ」とおっしゃいました。

そしてお会計が済みお見送りの際に、アカネちゃんの目線に合わせてしゃがみこみ「ありがとう」と挨拶すると、アカネちゃんはあたしの膝に両手をパーにした状態でのせました。

それは、アカネちゃんなりの「ありがとう」の表現なのだと思いました。

なので「どういたしまして。よかったね、キレイになって」と笑顔で返しました。

するとアカネちゃんはあたしに背を向け、お母様に連れられて去っていきました。

表情や言葉などの表現方法ではないけれど、アカネちゃんにたくさんの「ありがとう」をもらった気がして疲れがふきとんだような気がしました。

その日は、クリスマスイブだったのを覚えています。

これだけなら、いい思い出で終わるのですが、これには後日談があります。




確か、年が明けて寒さも和らいできた3月頃だったと思います。

ご予約の合間に、席を立って物販スペースの掃除をしていると、「こんにちは」と声をかけられました。

アカネちゃんのお母様でした。

とてもキレイな方だったこともあって、すぐに思い出しました。

「その節は、ありがとうございました。娘も大変喜んでいました」

「そうですか、よかったです!アカネちゃんでしたよね?お元気ですか?」

そう聞くと、お母様は表情を曇らせました。

「実は、もう一緒にいないんです」

「え?そうなんですか?」

「アカネは今、天国にいます」

その言葉に、わが耳を疑いました。 続きを読む
  1. 2011/12/25(日) 23:59:59|
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シークレットサンタ

ラリー・スチュワートは1948年にミシシッピー州で生まれました。




幼い頃に両親を亡くし、生活保護を受けながら貧しい暮らしをしたため、1ドルでも多く稼ぐために必死に働いていました。

23歳で化粧品販売の会社を設立しましたが、その年のクリスマスの直前に会社は倒産してしまいました。

多くの借金を抱え、8日間飲まず食わずで過ごしましたが、空腹に絶えかねて、無意識のうちにレストランに入っていました。

気付けばもう食事は終わり、伝票を見て我に返りました。

お金など持っているはずはありません。

ポケットを探して、財布を落としたふりをしていました。

すると、そこへ店主がやってきました。

無銭飲食で警察に突き出されるだろうと覚悟しましたが、店主は「落としてましたよ」と20ドル札を差し出しました。

当時のお金で2400円ほどです。

彼は店主の勘違いだと思い、店主から20ドル札を受け取り、支払いを済ませました。
翌年、彼は再起を賭けて、警備保障会社を設立して一所懸命に働きました。

そして、結婚してささやかな幸せを手にしていましたが、会社は3年で倒産してしまいました。




27歳のクリスマス。

彼は銀行強盗することを決意して銀行へ行きました。

銀行でお金を要求しようとすると、少女が窓口でお金を預けていました。

少女が預けていたのは20ドル札だったのです。

20ドル札を見た彼は、レストランで店主から20ドル札を受け取ったことを思い出したました。

彼はあの時の20ドル札が本当に落とし物だったのか?を知りたくなって、銀行強盗を中止し、あのレストランへと向かいました。




『4年前のレストランを訪れた自分のことを覚えていますか?』レストランの店主に聞きました。

すると店主は、『クリスマスは誰でも幸せになる日なんだよ。メリークリスマス』と答えました。

あの時の20ドル札は店主からのクリスマスプレゼントだったと気付いたのです。

これまで、幸せになるために1ドルでも多く稼ごうとしていた彼は、自分が成功することばかり考えていましたが、あの20ドル札のおかげで、空腹をしのげ、犯罪に手を染めずにすんだことに気付きました。

そして、他人に施すことの大切さを悟ったのです。

その後、会社に就職してセールスマンとし働きました。

貧しいながらも家族との幸せな生活を送っていました。

しかし、再び彼に不幸が襲いました。

務めていた会社が倒産して、解雇されてしまったのでした。

ある日、彼は売店に立ち寄りました。

その日は、31度目のクリスマスでした。

売店の店員は暗い表情をしていました。

彼はおつりとして受け取った20ドル札を店員に「クリスマスプレゼント!」と言って渡すと、暗かった店員の顔は明るくなりました。

シークレット・サンタが誕生した瞬間でした。




彼はその帰りに、銀行へ立ち寄り、預金を全額20ドル札で下ろしました。

そして、サンタクロースの格好で街に出かけ、貧しい人を見つけては20ドル札を配って歩きました。

彼は素顔を隠し、正体を明かさず、20ドル札を配っていたため、「シークレット・サンタ」と呼ばれるようになっていました。

翌年、彼は遠距離電話の会社を設立しました。

お金儲けのためではなく、遠く離れて生活している家族のためになればという奉仕の精神で会社を設立したのでした。

他人のために働いていると、不思議と会社も順調に大きくなり、家族のために家を買うことも出来ました。

会社はやがて年商10億円の大企業に成長しました。

彼は大富豪になっても、クリスマスになるとシークレット・サンタを続けていました。

2001年にニューヨークで同時多発テロが起こると、その年のクリスマスにはニューヨークを訪れて20ドル札を配り、2005年にアメリカ南東部でハリケーン被害が起きると、ミシシッピーシューを訪れて20ドル札を配りました。

やがて、シークレットサンタは全米に知れ渡っていきました。




これまで匿名で続けていたシークレット・サンタは2006年に突然、正体を明かしました。

彼は食道癌で残り4ヶ月の余命宣告を受けていて、「他人に施すことの大切さ」を世界中の人に伝えるためだでした。

シークレット・サンタが正体を明かした反響は大きく、2日間で全米から7000通もの手紙が寄せられました。

その多くは、シークレット・サンタになりたいという内容でした。

その年のクリスマスも病におかされた体で、シークレット・サンタとして街に現れ、20ドル札を配りました。

27年間で13万ドルを配った彼は、2007年1月12日に58歳でこの世を去りました。




その年のクリスマスには赤い帽子を被り、貧しい人に20ドル札を配る、多くの「シークレット・サンタ」が街に現れはじめました。

そして、シークレットサンタ活動は、全世界に広がっていったのです・・・。




という、話しです。人は苦しいときに自分のことしか考えられずに、事件や問題をおこしがちだよね。でもこんなサンタさんがそばにいたならば、幸せな明日がやってくる気がします。

星降る夜に

メリークリスマス
  1. 2011/12/25(日) 00:00:01|
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サンタさんはいるよ

中日新聞で連載の「ほろほろ通信」に掲載されたコラムを紹介させていただきます。
 
 
 
 
「サンタさんはいるよ」 志賀内泰弘
 
 
今から六年前の十二月二十二日。
 
稲沢市の会社員寺西澄史さんの次男が、奥さんの実家である千葉県の病院で無事に生まれた。
 
仕事に追われていたため、喜びに浸りつつ名古屋へ戻った。
 
その翌朝のことだ。
 
奥さんからの電話が鳴った。
 
赤ちゃんが別の病院へ搬送されたという。
 
詳しいことはわからない。「大丈夫だとは思うけれど、こちらに来られる?」と言う。
 
「無理はしないでね」とは言うものの心配になり、会社に事情を話して新幹線に飛び乗った。
 
病院へ到着すると深夜になっていた。
 
赤ちゃんは新生児集中治療室に入れられているという。
 
ぼうぜんとする寺西さんに主治医の先生が言った。
 
「お父さんですか。赤ちゃんはとても悪い状態です。後で詳しく説明しますのでここで待っていてください」と。
 
そのまま治療室に入ったまま先生は出てこない。
 
「もし…」と悪いことばかりが頭をよぎる。
 
いつの間にか日付が変わっていた。
 
先生の話では、ベストは尽くすが、もしだめならアメリカで治療を受けるしかないとのこと。
 
たくさんのチューブでつながれているわが子を見て、寺西さんは泣き崩れた。
 
「大丈夫だ、先生が必ず助けてくれるよ、お父さんもお母さんもいるからな!」と一生懸命に声をかけた。
呼んでもらったタクシーに乗り込むと、運転手さんに聞かれた。
 
「ご家族が入院されているんですか?」
 
そのとたん、緊張の糸が切れ、再び泣き出してしまった。
 
「今から会いに行く妻に何と話したらいいのか。うちの息子、もうだめかもしれない」すると、運転手さんはこんな話を始めた。
 
「大変ですね。私の妻も大病でこの病院にお世話になりました。ここの先生方は優秀です。妻も元気になりました。お子さんも大丈夫ですよ。今日はクリスマスイブ。きっとサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれますよ」
 
寺西さんはその話を聞き、少し心が落ち着いたという。
 
なんと奇跡が起きた。
 
翌日から赤ちゃんは日に日に回復し、体のチューブも一本ずつ取れていった。
 
その息子さんは今、保育園の年長組。
 
運動会で活躍する暴れん坊だそうだ。
 
寺西さんは言う。
 
「あの日の運転者さんはサンタクロースだったと信じています」
 
2人のお子さんにも「サンタさんはいるよ」と話しているという。
  1. 2011/12/24(土) 22:22:22|
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かけがえのない贈り物

ある母子の物語




ボクが10歳のときのクリスマス・イブだった。

「クリスマスには、ちょっとぜいたくをしてごちそうを食べようね」

何週間も前から、母は繰り返しそう言った。

飲食店勤務の忙しい仕事にどうにか都合をつけて、母はクリスマスをボクと過ごす約束をしてくれていた。

イブの日の午後、母とボクは、クリスマスの買い物をするためにふたりで街にでかけた。

ボクは小さい頃の交通事故で左足が動かなくなっていたので、歩くためには、松葉杖が必要だった。

肩を上下にゆすり、片足をひきずりながらも、横を向くとそこにいつも母の顔がある。

だからボクは母と歩くのがとても好きだった。




ウキウキとするボクの気持ちとは裏腹に、その日の母の横顔は、笑顔でも隠せないほどに疲れていた。

この日の休みをもらうために、母は昨夜もかなり遅くまで働いていたのだ。

アパートを出てしばらくも経たないうちに、いつもなら横にいる母の姿が突然に消えた。

ふり返ると数メートル後ろに、うつぶせになって母が倒れていた。

「お母さん!」

母の視線のさだまらない目がボクを探していた。

「どうしたの?お母さん」

ボクの手を握ると、母は何かを言いたそうにしたのだが、言葉にすることはできなかった。

近所の人が呼んでくれたのか、けたたましく救急車がやってきて、ボクたちは病院に運ばれた。

病院の待合室で、ボクはなすすべもなく、椅子に腰掛けていた。




女性の看護師さんがやってきて、ボクの横に腰をおろした。

「ぼうや、お家はどこ?お父さんに連絡できる?」

「……お父さんはいません。死んだんです。交通事故で……」

「えっ、……じゃあ、他に誰か連絡のとれる人、いる?」

ボクが黙って首を振ったので、看護師さんも黙りこんでしまった。

ボクは思い切って尋ねた。

「お母さん、大丈夫ですか?会えないんですか?」

看護師さんは、母が脳出血となり、いま難しい手術をしているのだと、少年のボクにもわかるように説明してくれた。

「お母さんも死んじゃうんですか?」

看護師さんは大きく何度も首を振った。

「そんなことない、そんなことないように、手術をしているのよ」

けれど、手術はなかなか終わらなかった。

待合室で、ボクは何時間も何時間も、ひとりで待った。

どこか遠くで楽しそうな音楽が聞こえてきて、 今日が何の日だったかを思い出した。

本当なら、今頃は賑やかな音楽を聞きながら、母が作ったごちそうを食べていたのに。

そう思うと、おかしいやら悲しいやらで、泣きそうになった。

世界中で母とボクだけが不幸なのかもしれない、そうならないように、そう思わないように涙をこらえた。

夜になると、待合室の窓の外に遠く、前に母と行ったことのある教会の灯りが見えたような気がして、ボクは思わず目をこらした。

あの日、教会で母はひざまずいて長い間祈っていた。

「何を祈っていたの?」と聞かなくても、母がボクのために祈ってくれていたことを知っている。

母はボクのために働き、ボクのために笑い、ボクのために怒って、ボクのために泣いてくれた人だったから。

そんな母に、ボクは何もしてあげていなかった。

それどころか、わがままばかりだったことを悔やんだ。

母を失いたくなかった。

だからボクは自分でも驚くほど真っ直ぐな気持ちになって、あんな事を言ったのだろう。

そして10歳のボクにできることは、それしかなかったのだ。




「サンタさん、サンタさん、いるんでしょう。サンタさんは、ボクがいい子にしていたら、プレゼントをくれんるですよね。そうでしょう?サンタさん、ボク、プレゼント、いりません。もう、一生、何もプレゼントはいりません。そのかわり、お母さんを助けてください。ボク、いい子になります。一生懸命がんばって、いい子になります。もっと、もっといい子になります。だから、お母さんを助けてください。おねがいします。おねがいします。お母さんを助けてあげてください。」



あのイブの日から、十数年の月日が経った。

ボクはいつしか大人になって、就職し、同じ職場の笑顔のすてきな女性と結婚した。

そして、今年、ボクらの初めての子どもが生まれた。




母は「赤ん坊の頃のおまえそっくりだよ」とよく笑う。

ボクが一生プレゼントはいらないと言ったから、サンタさんからクリスマスプレゼントをもらうことはもうなかった。

でも、ボクはあのクリスマスの日以来、気づいた。

そして、心から感謝した。

クリスマスどころか、ボクは毎日プレゼントをもらっていたのだ。

愛する人たちの大切な命、そして、このボクの命。

そう、ずっと毎日、かけがえのない贈り物をもらい続けてきたのだ。         



という話しです
わたしたちも、同じ様に、贈り物をもらっています。
それを忘れないように命を大切に、そしてまわりから分け与えられている愛を少しでも返していけるようにできたらな、と思います
  1. 2011/12/24(土) 12:00:00|
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感動は人を動かす〜『売っているのはおもちゃではない、夢と感動である』

クリスマスにまつわる素敵な話しを紹介します

この話しは、いろんなバージョンがあるみたいですがコレが元ネタと思われます



「感動は人を動かす」

今回の話しは木下さんという方の話しです。

木下さんは子供達に、2つのことを伝えているそうです。


1つ目。
「サンタさんは、いつも見ているから、いい子にしていれば、プレゼントをくれると思うよ」

2つ目。
「今の自分にふさわしいプレゼントをお願いしないと、サンタさんは聞いてくれないと思うよ」




12月上旬、子供達は、自分が欲しいものを書いて、靴下の中に入れておくそうです。

その手紙にサンタさんが納得すれば、手紙を持って行ってくれるんですね。

手紙を入れた翌日から、子供達は毎朝、起きるとすぐに、靴下の中をのぞきこみます。

まだ、手紙は入ったままです。

その次の日も、次の日も…。

サンタさんは、なかなか手紙を持っていってくれないんですね。

すると、子供達は悩み始めて、お父さんに相談に来るそうです。

「サンタさんに○○をお願いしたんだけど、これって、僕にふさわしくないのかなぁ…?」

「私、いい子じゃないかなぁ…?」

それに対して、木下さんは「ふさわしくないかもね」とか、「こうしたほうがいいんじゃない」とかは、いっさい言いません。

「自分はどう思うの?」

「じゃあ、どうしたらいいと思う?」と
子供達に自分で考えてもらうそうです。

子供達は、プレゼントを変更したり、「今日から、僕、毎朝新聞を取りに行くよ」、「私は、毎日、庭の木の水やりをする」

というように、自ら行動を始めるそうです。

そして、毎日毎日、サンタさんにいい子って認めてもらおうと、頑張るんですね。

するとある朝、手紙がなくなっているんです。

子供達は、「サンタさんが、手紙を持っていってくれた!」と大喜び。

そんな風に、ず〜っと前から、クリスマスの日を楽しみに、いい子にしている子供達。

けなげですね。かわいらしいです。




ところが、8年前のクリスマスの日に、ある事件が起こったのです。

今から8年ほど前のことです。

我が家には幼稚園に通う、年長の娘と年少の息子がおりました。

12月に入ってまもなく、私たち夫婦は、「今年はサンタさんにどんなお願いをするの?」と尋ねました。

「ぼくはガオレンジャーのロボットをもらうんだ!」

「私はキッズコンピュータがほしいの」と口々に答える彼ら。

私たちはイヴの夜、眠りについた子ども達の枕元におもちゃを置いて、翌朝、彼らがそれを見つけて遊ぶことによって、
豊かな心を育みたいと考えていたのです。

子供達にとっては待ち遠しい数週間が過ぎ、ついにその日がやってきました。

なかなか寝付けない彼らも「早く寝ないとサンタさんが来ないよ!」の一言で
眠りについていきます。

そして翌朝。

彼らは枕元を見て大騒ぎ!

「サンタさんがきた〜!」。

早速、おもちゃを確認してまた大騒ぎ。

いつものクリスマスの風景がこのまま続くと信じていました。

ところが…、娘に贈った「キッズコンピュータ」が故障していたのです。

電源を押してもスイッチが入りません。

娘は何度も電源を入れ続け、そしてついにポロポロと涙をこぼし始めたのです。

「ねぇ、わたしが悪い子だったから…、おもちゃ、こわれているの?」

「そんなことはない!サンタさんは、世界中のお家を一晩で回ってるんだ。だから壊れてるかどうか確認する暇がなかったんだよ。もう一度お願いしてみようじゃないか。ひょっとしたら、またサンタさんが来てくれるかもしれないよ」

私は泣きじゃくる娘にそう伝えるのがやっとでした。

このとき、落胆の渦中にいる私たちには、その日の夜に起こる幸せな出来事を予測することなどできませんでした。




私達は娘にわからないように、開店時刻を待っておもちゃ屋さんに電話をかけました。

「お忙しい時期にすみません。

先日購入したおもちゃが壊れておりまして…」

すると責任者の方が言われました。

「ああ、それはメーカーの責任になります。製造元のお客様相談センターに直接ご連絡してください」

私達は釈然としないままに「わかりました」と答え、お客様相談センターに連絡しました。

ところが、話し中でつながらないのです。

30分程の間隔で何度もかけました。

結局、夕方まで一度もつながりませんでした。

私は、藁にもすがる想いで再度おもちゃ屋さんに電話をいれました。

先ほどの責任者の方に状況を相談してみようと思ったのです。

「すみません、センターにつながらないのです」

「何度もお伝えしますが、それはメーカー側の責任なのです」




不毛なやり取りが続くと感じた私は、あきらめました。

そして最後にこう伝えたのです。

「ありがとうございました。あきらめます。ただ、最後にひとつだけ知っておいていただきたいことがあります。私があなたのお店で買ったもの、それはおもちゃではないということです。本当はあるはずのないサンタの国が子ども達の心にだけあります。おもちゃを願い、いい子にしていようと誓い、やがてその日がやってくる。彼らは枕元に置かれたおもちゃを見つけ、『ああ、サンタの国は、ほんとうにあるんだ!』と喜び、心を躍らせながらそのおもちゃで遊ぶ。私はその夢と感動にお金を払いました。だから、今日という日にそのおもちゃで子ども達が遊べること、それがどれほど大切なことであるか。それだけはわかってやってください。何度もお電話してすみませんでした」




そういって電話を切ろうとしたときでした。

「ちょっと待ってください」

今まで黙って私のお話を聞いてくださっていたその方が突然そういわれたのです。

「私に少し時間をいただけますか?」

意外な言葉に私は驚きました。

そして彼は続けてこうおっしゃいました。

「お買い上げいただいたキッズコンピュータは人気商品で、うちの店に在庫がないのです。でも、他店にはあまっているところがあるかもしれません。それを探す時間を私にいただけますか?」

驚いた私はとっさに、「もちろんです!どうぞよろしくお願いいたします」と答えました。

その瞬間からひたすら待つ時間が始まりました。




冬の夕方は、あっという間に夜の帳に変わります。

1時間、2時間、3時間…

結局、夜の9時になっても連絡はありませんでした。

子供達をお風呂に入れ、寝かしつける時刻です。

「さあ、いい子は寝る時間だよ!」

そういって子供達に添い寝をしました。

泣き疲れた娘はすぐに目を閉じ眠りについてゆきます。

私は内心、(ああ、おもちゃは間に合わなかったな。こんなクリスマスもあるよな)と、自分に言い聞かせていました。




そのときでした。

「ピンポ〜ン」。

誰かやってきたのです。
私は(ひょっとしたら!)と思い、子ども達には寝るように伝え、表に出ました。

玄関を開けると、そこには待ち焦がれていたおもちゃ店の責任者の方が立っておられました。

しかし、彼をみた瞬間、私は絶句し、言葉を失ったのです。




なぜなら、彼は全身真っ赤なサンタクロースの服を着ていたのです。

あごには真っ白なひげ…

そう、そこにいたのは紛れもなくサンタクロースそのものだったのです。

「サンタがやってきました!お子さんをお呼びください!」
私は夢中でした。

「早く! 起きておいで!」

驚いて起きてきた子供達がその姿を見たとたん、「うわ〜サンタだ!サンタがやってきた!」

飛び跳ねて喜んでいるのです。

サンタは娘に新しいおもちゃを渡しながらこう言いました。

「ごめんね。おもちゃが壊れていたんだね。忙しくて確認できなかったんだ。はい、これはちゃんと動くからね。我慢して待っていてくれたんだね。おりこうさんだね。この調子でパパやママの言うことをしっかり聴くんだよ。来年もまた来るからね」

娘の満面の笑顔を見て、私はあふれる涙を止められませんでした。

こんな素敵なクレーム対応を受けられるなんて…

その夜、我が家には夜遅くまで笑い声が響いていました。




「プチ紳士からの手紙」に書いてあったのはここまでですが、木下晴弘さんの著書、「ココロでわかると必ず人は伸びる」には、さらに続きが書いてあります。




この後、子ども達を部屋に返した後、木下さんは、サンタに伝えました。

「よくぞ子ども達に、夢をつないでくれました。」

「いいえ、先ほど木下さんが言われた、『売っているのはおもちゃではない、夢と感動である』と言う言葉、今、私も本当にその通りだと思います。」

そう言って泣くサンタさんに、また、木下さんももらい泣きしたそうです。

木下さんは、関西の大手進学予備校でダントツの合格成績を上げ、生徒や保護者からの絶大な支持を受け、カリスマ教師と呼ばれていた方です。

どんな風に生徒を指導したんだろう?と興味があるところだと思いますが、木下さんが大事にしていたのは、「心」の部分なのです。

「頭でわかっても心でわかっていなかったら、人は行動しない」

と考え、人の心に感動を与え、自ら「行動したい!」という気持ちにさせる、そんな授業をしてきた方なのです。

だからこそ、今回も、こんな素敵な出来事が起こったんでしょうね。

このおもちゃ屋さん、後で「忘れかけていた大切なことを思い出させてくださってありがとうございました」

と何度も何度もお礼をされたそうです。
  1. 2011/12/24(土) 00:00:01|
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涙の数だけ大きくなれる

あるところに、何をしても長続きしない女性がいました。

「つまらない…やりたくない…私のやりたかったことじゃない…と言い訳ばかり。

大学のサークルも就職してからの仕事もすぐ辞めてしまいます。

気づけば彼女の履歴書は、たくさんの職歴が並ぶようになりました。

「どうせすぐ辞めるんじゃない?」いつしか正社員として彼女を雇う会社はなくなっていきました。

その後、派遣社員となるも、やはりすぐ辞めてしまうのでした。

こんな私じゃダメだ…ガマン強くなりたい…でもどう頑張ってもなぜか続かない…。

そんな時にきた仕事が、スーパーのレジ打ちでした。

しかし数週間後、単純作業がイヤになり、結局また辞めたい衝動が彼女の心を襲います。

そんな矢先、電話が鳴りました。

田舎の母からでした。

「もう、帰っておいで」母の一言に心を固め、辞表を書き荷物をまとめ出した時、あるものを見つけました。

それは子どもの頃の日記でした。

「ピアノニストになりたい」はっきりとそう書かれていました。

唯一、長く続けられたもの。

それがピアノでした。

彼女の中で静かな変化が起こりました。もう逃げるのはやめよう…。

「お母さん、私、もうちょっと頑張ってみる」決意の証が、雫となって頬を濡らしました。

ピアノの練習するうちに、鍵盤を見ずに弾けるようになった…ひょっとしたらレジも…彼女は特訓を始めました。

大好きだったピアノを弾くように…彼女はいつの間にか、レジ打ちの達人となっていました。

変化はすぐにあらわれました。

お客様の顔を見る余裕ができ、次第に覚え、話しかけることができるようになりました。

「あら、いい鯛ですね。いいことがあったんですか?」

「わかる? 孫が水泳で賞を取ったの」

「それはよかったですね。おめでとうございます!」

彼女はたくさんのお客様と話ができるようになりました。

そんな時、ある事件が起こりました。

それは店内アナウンスが何度も流れるほど忙しい日でした。

「お客様、どうぞ空いているレジにおまわりください」。

「重ねて申し上げます。どうぞ空いているレジにお回りください」。

彼女が見回してみると、彼女のレジにだけお客様の長い列が…。

「お客様どうぞあちらのレジへ」と店長。

「イヤよ、私は彼女と話をしにここに来てるの」。

その光景を目にして、彼女は手を思わず止めました。

あふれる想いは歓喜の雫となり、その場に泣き崩れました。

その後もレジからは、会話が途絶えませんでした…。




「涙の数だけ大きくなれる」木下晴弘著(フォレスト出版) 続きを読む
  1. 2011/12/20(火) 00:52:06|
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子犬

あるペットショップの店頭に、「子犬セール中」の札がかけられました。

子犬と聞くと、子どもはたいそう心をそそられるものです。

しばらくすると案の定、男の子が店に入ってきました。

「おじさん、子犬っていくらするの?」

「そうだな。30ドルから50ドルってところだね」

男の子は、ポケットから小銭をとり出して言いました。

「ぼく、2ドルと37セントしかないんだ。でも見せてくれる?」

店のオーナーは思わずほほ笑むと、奥に向かってピーッと口笛を吹きました。

すると、毛がフカフカで丸々と太った子犬が5匹、店員の後ろをころがるように出てきたのです。

ところが1匹だけ、足をひきずりながら、一生懸命ついてくる子犬がいるではありませんか。

「おじさん、あの子犬はどうしたの?」と男の子は聞きました。

「獣医さんに見てもらったら、生まれつき足が悪くて、たぶん一生治らないって言われたんだよ」と店のオーナーは答えました。

ところがそれを聞いた男の子の顔が輝き始めたのです。

「ぼく、この子犬がいい。この子犬をちょうだい!」

「坊や、よしたほうがいいよ。そりゃ、もしどうしてもこの子犬がほしいって言うなら、ただであげるよ。どうせ売れるわけないから」と店のオーナーが言うと、男の子は怒ったようににらみつけました。

「ただでなんかいらないよ。おじさん、この犬のどこがほかの犬と違うって言うの?ほかの犬と同じ値段で買うよ。今2ドル37セント払って、残りは毎月50セントずつ払うから」

その言葉をさえぎるように、店のオーナーは言いました。

「だって、この子犬は普通の犬みたいに走ったりジャンプしたりできないから、坊やと一緒に遊べないんだよ」

これを聞くと、男の子は黙ってズボンのすそをまくり上げました。

ねじれたように曲がった左足には、大きな金属製のギプスがはめられていました。

男の子は、オーナーを見上げて優しい声で言いました。

「きっとこの子犬は、自分の気持ちがわかってくれる友だちがほしいと思うんだ」
  1. 2011/12/18(日) 01:00:00|
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嫁の手

うちの娘3才は難聴。




ほとんど聞こえない。




その事実を知らされたときは嫁と泣いた。

何度も泣いた。

難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。

嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。

ドン底だった。




バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。

何もかもが嫌になった。

嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。




ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。

頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。




「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」




手話だった。

そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。

それで目が覚めた。

何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。

娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。




あれから三年。




娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。

喋ってる。
  1. 2011/12/17(土) 04:26:59|
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花嫁の電話

以前、NTT西日本コミュニケーション大賞をとった素敵な話しです




花嫁の電話

由香ちゃんが近所に引っ越してきたのは、まだ小学校三年生のときでした。

ときどきわが家に電話を借りに来るのですが、いつも両親ではなく由香ちゃんが来るので、おかしいなと思っていたのですが、しばらくしてその訳がわかりました。

由香ちゃんのご両親は、耳が聞こえない聴覚障がいがある方で、お母様は言葉を発することが出来ません。

親御さんが書いたメモを見ながら、一生懸命に用件を伝える由香ちゃんの姿を見ていると、なんだか胸が熱くなる思いでした。

今なら携帯電話のメールがありますが、その時代を生きた聴覚障がいを持つ皆さんは、さぞ大変だったろうと思います。

由香ちゃんの親孝行ぶりに感動して、我が家の電話にファックス機能をつけたのは、それから間もなくのことでした。

しかし、当初は明るい笑顔の、とてもかわいい少女だったのに、ご両親のことで、近所の子供達にいじめられ、次第に黙りっ子になっていきました。

そんな由香ちゃんも中学生になる頃、父親の仕事の都合で引っ越していきました。

それから十年余りの歳月が流れ、由香ちゃんが由香さんになり、めでたく結婚することになりました。

その由香さんが、「おじさんとの約束を果たすことができました。ありがとうございます」と頭を下げながら、わざわざ、招待状を届けに来てくれました。

私は覚えていなかったのですが、「由香ちゃんは、きっといいお嫁さんになれるよ。だから負けずに頑張ってネ」と、小学生の由香ちゃんを励ましたことがあったらしいのです。

そのとき「ユビキリゲンマン」をしたのでどうしても結婚式に出て欲しいというのです。

「電話でもよかったのに」と私が言うと、「電話では迷惑ばかりかけましたから」と由香さんが微笑みました。




その披露宴でのことです。

新郎の父親の謝辞を、花嫁の由香さんが手話で通訳するという、温かな趣向が凝らされました。

その挨拶と手話は、ゆっくりゆっくり、お互いの呼吸を合わせながら、心をひとつにして進みました。

「花嫁由香さんのご両親は耳が聞こえません。お母様は言葉も話せませんが、こんなにすばらしい花嫁さんを育てられました。障がいをお持ちのご両親が、由香さんを産み育てられることは、並大抵の苦労ではなかったろうと深い感銘を覚えます。嫁にいただく親として深く感謝しています。由香さんのご両親は“私達がこんな身体であることが申し訳なくてすみません”と申されますが、私は若い二人の親として、今ここに同じ立場に立たせていただくことを、最高の誇りに思います」

新郎の父親の挨拶は、深く心に沁みる、感動と感激に満ちたものでした。

その挨拶を、涙も拭かずに手話を続けた由香さんの姿こそ、ご両親への最高の親子孝行だったのではないでしょうか。

花嫁の両親に届けとばかりに鳴り響く、大きな大きな拍手の波が、いつまでも疲労宴会場に打ち寄せました。

その翌日。新婚旅行先の由香さんから電話が入りました。

「他人様の前で絶対に涙を見せないことが、我が家の約束ごとでした。

ですから、両親の涙を見たのは初めてでした」という由香さんの言葉を聞いて、再び胸がキュンと熱くなりました。
  1. 2011/12/15(木) 09:42:06|
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