泣けるまぁちゃんねる

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CA

メディアファクトリーという出版社から、ノンフィクションの「女性のお仕事」というシリーズが出ています。
 
「新幹線ガール」「ローカル線ガール」「百貨店ガール」など。
 
どの本も、働くことに生きがいを感じている女性たちの姿が、いきいきと描かれています。
 
 
 
 
その中の1冊「スーパーCA(キャビンアテンダント)の仕事術」の中から、著者の里岡美津奈さんが体験したエピソードを一部抜粋して紹介します。
 
 
 
 
あるフライトのこと。
 
ひとりのCAから、なかなか担当エリアの離陸準備OKのサインが出ません。
 
 
「何かあったのかしら」と心配で様子を見にいこうとすると、そのCAが困った顔でそばにやってきました。

「ご夫婦のお客様で、奥様のほうが大きな人形をお持ちなのですが、どうしても手から離してくださらず、ベルトが着用できないのです。
 
ご主人と一緒になんどもお願いしているのですが」お客様の席に近づいてみますと、たしかに可愛らしい人形をしっかりと胸に抱いていらっしゃいます。
 
私はお客様と目線を合わせてこう言いました。
 
「お客様の“お子様”ですが、お隣の席に移動していただいてもよろしいでしょうか?」
 
「ええ、分かりました」
 
その瞬間、思い詰めたようだったお客様の表情がやわらかくなり、素直に人形を隣の席に置いてくださいました。
 
ご主人も、そのお客様を実際に担当していたCAも驚いていましたが、お客様も人形にシートベルトをし、無事飛行機は離陸することができました。
 
後日、ご主人からていねいなお礼のお手紙をいただきました。
 
 
 
「実は半年ほど前に、私たちは子どもをなくしております。それ以来、妻は人形をかたときも離さなくなってしまいました。私も気持ちが分かるものですから、ほかのお客様に迷惑をかけていると思いながら、飛行機の中で妻を強く注意できませんでした。でも、里岡さんのあのひと言があってから、妻の気持ちがずいぶん落ち着いたようです。本当にありがとうございました」
 
と書いてありました。
 
とっさに出た言葉でしたが、その人形は私が見ても「お荷物のひとつ」という気がしませんでした。

お客様の様子を見た瞬間、事情は知らなくても何か感じるものがありました。
 
そして偶然にせよ、そのときにかけたひとことが、お客様の何かのお力になれた。
 
それはとてもうれしいことでした。
 
 
 
 
里岡さんは、ANAのピカイチのCAだそうです。
 
これを感性というのでしょうか。
 
感性は、一朝一夕に得ることはできません。
 
常に相手を思いやる心を育むことから生まれます。 
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  1. 2012/04/28(土) 23:35:30|
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キャプテン翼


平成16年12月のことです


在サマーワ外務省事務所に派遣された外務省の江端康行さんは、到着したサマーワに町に「殺風景な町だなぁ」と感じたそうです

ユーフラテス川を挟んで南北に伸びる町並みは全体が土色で、町の中心に陣取る巨大な貯水タンク・・・しかも故障中・・・が目を惹くくらいで、ワクワクするようなものは、なにもない

江端さんの担当は、経済協力なのですが、折角やるのなら、何か楽しいこと、面白いこと、そして、血が通った活動ができないだろうかと思ったそうです


そんな中で、彼は4つのキーワードに気づきます

一つ目に、「子供たち」

毎日、宿営地からサマーワ市内や地方に出かけると、日本の車が通るたびに、現地の子供たちが必ず一斉に手を振ってくれる

子供たちは一生懸命に手を振り、車を追いかけてくる

サッカーしている子供たちでさえ足を止め、手を振ってくれる

二つ目が「サッカー」

イラクは子供からお年寄りまで誰もがサッカー好き

イラク国民はサッカーを誇りにしている

子供たちは気温が50度を超える炎天下の中でも、元気に砂漠の中でボールを蹴っている

因みに、陸上自衛隊と外務省によるサッカーチームが結成され、サマーワの少年チームとの定期戦も行っているそうです

三つ目が、給水車

給水車は、サマーワの隅々まで回って水を配る。動く広告塔のようなものです

日本も12台の給水車を供与しているのだけど、どうも目立ってない

一方で、オランダ軍が供与した給水車にはでかでかと「WATER」の文字とオランダ国旗、嫌でも目に付く

しかも、その給水車の中身は日本の宿営地で陸上自衛隊の皆さんが作っている、「おいしい日本の水」・・・


そして4つ目が、「キャプテン・マージド」

人々から神様のように慕われているヒーロー「キャプテン・マージド」

なんとそれは日本の「キャプテン翼」だった!!

しかも、イラク人の大多数は翼君が日本人であることを知らない!!アラブのマージド君だと思っている!

マージドとは、「砂漠のペレ」と呼ばれたサウジアラビアの伝説のプレーヤー、マージド・アブドウラー選手を指すらしい

この名前を博したテレビアニメ「キャプテン・マージド」は中東で爆発的な人気を得た

日本の「キャプテン翼」は世界中で放映され、フランスのジダンやイタリアのトッティも「翼」にあこがれてサッカーを始めた

この4つの点が一つの線で繋がった

「給水車に子供たちの憧れるサッカー選手「キャプテン翼」を乗せたらどうだ?」

江端さんは、「これはいける!」と思わず膝を叩いたそうです

丁度、日本のODAで給水車26台が新たに供与されることが決まっていたので、その給水車にキャプテン翼をペイントして走らせれば、どんなに子供たちは喜ぶだろうか

ところが、企画に立ちはだかったのが「キャラクター肖像権」です

漫画やアニメのキャラクターには肖像権があり、権利を持っている人や会社の了承なしには勝手に使うことは出来ません

イラクの子供たちが喜ぶのなら、きっと出版社も二つ返事で引き受けてくれるだろう、そう思ってお願いをしたら、大間違いだったそうです

イラクへの陸上自衛隊の派遣に、キャプテン翼を協力させていると見られるのではないかと、社内が大激論となったのだそうです


そして、1週間

出版社の担当の方から、「高橋先生の意見も伺って相談した結果、お受けしたいと思います」との返事がきた

最終的に、イラクの子供達やサッカー交流のためにODAに協力することは良いことではないか、との判断があったようです

肖像権の許可がでると、次の問題はどのように給水車にキャプテン翼をペイントするかとなった

まさか、マンガ家の高橋陽一さんにイラクに行って描いてもらうことなど不可能です

そもそも現状では一般の民間人がイラクに入ることすら出来ない

悩む江端さんが、ふと山手線を見上げたとき、気がついた

日頃、目にする山手線なのだけど、最近は車体にカラフルな塗装がなされている

実はあれ、ペイントではなく、塗装ステッカー

そこで、塗装ステッカーの会社を当たってみた

しかし、気温が50度以上にもなるサマーワですから、日本では考えられないような強度が必要となります

しかも給水車は縦2m×横6mという巨大なもの

色々な会社に連絡をし、いくつもの会社に断られ、条件を満たしても価格が折り合わない

そして、ようやく引き受けてくれる印刷会社が見つかります

ステッカーの大きさは縦1.5m×横2mという大きさです

それを貼るのは普通、職人さんです

しかし、職人さんにイラクへ行ってもらうことは出来ない

結局、江端さん自身が貼り方を覚え、サマーワの陸上自衛隊と協力して貼ることとなったそうです

しかも、印刷会社の方々は非常に親身で、十人くらいのスタッフで、素人にも貼り易い方法を一から研究してくれたそうです

大きなステッカーを張るのは、想像以上にむつかしい

空気が入ってしまうのです

どうしたら空気を入れないように簡単に貼れるのか・・・

改良に改良が加えられて、ようやく「サマーワ式」貼付方法が完成したといいます


9月末

苦心の末にようやくステッカーが完成した

白地に堂々たる翼君

その横には、若林君、岬君、石崎君等南葛FCの面々・・・

これならイラクの子供たちにも胸を張って見せられる

江端さんは、ステッカーを作るために力を貸してくださった多くの方々に感謝しつつ、日本を後にします


サマーワの宿営地に着いた江端さんは、陸上自衛隊に協力をお願いします

陸上自衛隊では、塗装ステッカー貼付のための特別チームを編成してくださった

名前は「チーム翼」

早速、ミーティングを行い、貼付方法の説明を行った

チームの皆さんはとても真剣に説明に耳を傾けてくれたといいます

現地の水道局に給水車を引き渡す日取りも決まり、準備万端と行きたい・・・というところが、肝心の給水車がなかなか到着しない

ようやく給水車3台が到着したのが、供与式の5日前

時間がありません

急いでステッカーを貼らねばいけません

しかし、給水車の表面は長旅のせいか土埃で汚れきっている

まずは、みんなで、巨大な20tタンカー3台を洗わなければなりません

これが本当にやっかいな仕事で、腰痛持ちの江端さんは、腰が痛くてたまらなかったそうです

まさか、この年になって20tタンカーの洗車をするとは(笑)

しかし、苦労の甲斐もあって、給水車はピカピカに!

いよいよ貼付作業

4時間程で作業は完了

真っ白な給水車にキャプテン翼が浮き上がった

丁度、日が沈みかけている時で、夕日に染まる翼君の勇姿に、江端さんは、何か込み上げてくるものを感じたそうです


10月22日

キャプテン翼の給水車を供与する式典が行われた

この給水車を真っ先に子供たちに見せてあげたかったので、サマーワの少年サッカー・チームを招待します

宿営地に設けられた会場には大きな布で覆われた給水車が一台

序幕式を待っている

除幕式に使う大きな布は、前日に他の所員とシーツをホチキスで張り合わせて間に合わたものだったそうです

仕上がりは上々

あいにく、その日は朝からの強風で、幕は急遽ロープで繋ぎ止められ、吹き飛ぶのを必至で堪えなければならない


いよいよ除幕式の開始

少年チームの代表アリ君が日本語とアラビア語を混ぜて、「3、2、1、アルファ(開け)!」と掛け声をかけます

白い布がスルスルと落ちる

キャプテン翼が現れます


時間が止まる


瞬間、子供たちの顔が一斉に輝きます

会場が歓声で包まれた

江端さんはその声を聞きながら、あぁ、良かったなぁと何ともいえない充実感を覚えたそうです


式のあと、陸自と江端さんたちと、少年チームとのサッカー試合が行われます

結果は4対4の引き分けだった

非常に良い結果で無事全ての行事が終わりました


いま、給水車26台全てにキャプテン翼が施されています

給水車は、ムサンナー県全域に水を配る

給水車は、ムサンナー県の人々に水を届けるだけでなく、キャプテン翼を通じて、子供たちに夢や希望を運んでくれる

多くの子供たちを励まし、元気づける


このお話は、外務省のホームページに、サマーワ「キャプテン翼」大作戦-給水車が配る夢と希望-という題で掲載されています


今いろんな国で日本人サッカー選手が活躍している

一方、デモや暴動で国が混乱したままの国もある

未来を担う子供たちの未来の夢と希望をつないでいると思います

こんな形の親善大使もあってもいいんじゃないかな?
  1. 2012/04/26(木) 23:02:34|
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ディズニーランドとお子様ランチ

秋もだいぶ深まってまいりました。
 
ディズニーランドのスタッフの皆様、いつも私たちにステキな夢をありがとうございます。
 
今月、数年ぶりに主人とディズニーランドに遊びに行かせていただきました。
 
実はこの日は、一年前に亡くなった私達の娘の誕生日、そして命日でした。 
 
身体がとても弱かったために、生まれて間もなくこの世を去ってしまい、主人と二人、ずいぶんと長い間、深い哀しみにおりました。
 
助けてあげられなかったこと、何一つ我が子にしてあげられなかったこと、いまでも悔やんで仕方ありません。
 
生まれてきたら、このディズニーランドに連れてきてあげたいという私たちの夢も果たすこともできず、主人と話し、この日、娘の供養のために来ることができました。
 
事前にガイドブックを見て、かわいいお子様ランチがあることを知り、娘に食べさせてあげたいと思い、ワールドバザールにあるイーストサイド・カフェに入りました。
 
本当は8歳以下でないと注文することができないものでしたが、お店の方に事情を話すと、快く注文を聞いてくださいました。 
 
そして隣の4人掛けのテーブルに子供用のイスまで用意してくださって、「3名様、こちらにどうぞ」と席を移してくださったのです。
 
「本日はよくきてくださいました。ご家族で楽しんでいってくださいね」と、まるで我が子がここに一緒にいるように私たちをもてなしてくださり、主人も私も感激で胸がいっぱいになり、涙があふれました。
 
娘を亡くしてからはじめて、「親子3人でいる」ということを味わわせてくださって、本当に感謝しております。
 
娘が生きていてくれたらどんなに幸せだったろうという思いでいっぱいです。 
 
お店の方々にとても親切にしていただき、そしてかわいいお子様ランチも食べることができて、娘もさぞ喜んでいたと思います。
 
思いもよらぬ皆様の温かなおもてなしのおかげで、とても良い想い出ができましたし、娘のためにも、とてもよい供養ができたと思います。
 
親子3人で楽しいひとときを過ごさせていただきまして、本当にありがとうございました。
 
あの時のお礼を言いたくて手紙を書かせていただきました。
 
娘は天国へ行ってしまったけれど、私たちのかけがえのない宝です。
 
これからも愛し続け、一生ずっと一緒に生きて行こうと思います。
 
また娘を連れて遊びに行かせていただきます。
ステキな夢を見れる日を楽しみにしています。
 
スタッフの皆様、日ごとに寒さが加わってまいりますので、お体を大切に、これからも私たちのために頑張って下さい。
 
では、さようなら。
 
  1. 2012/04/19(木) 20:41:31|
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捨てられた赤ちゃん

1996年11月の四川省の寒村若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子に気づきました

赤ちゃんを育てるのは貧乏な彼にとって重い負担そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし立ち去っては戻りました

最後の、彼は命が尽きそうな赤ちゃんにつぶやきました

「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と……。

独身のまま一児の父親になった農夫は粉ミルクを買うお金もない為赤ちゃんはお粥で大きく育てられました

病気がちな体は心配の種でしたが聡明で近所からとてもかわいがられたのはお父さんの救いでした

女の子は5歳になると自ら進んで家事を手伝うようになりました

洗濯、炊飯、草刈りと小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました

他の子と違ってお母さんがいない少女はお父さんと2人で家をきり盛りしました

小学校に入ってからも少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした

習った歌をお披露目したり学校での出来事を話したりとお父さんを楽しませました

そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました

2005年5月のある日、少女は鼻血が、なかなか止まらない状態になりました

足にも赤い斑点が出たためお父さんと病院に行くと医者に告げられた病名は『急性白血病』でした

目の前が真っ暗になりながらお父さんは親戚と友人の元に出向き借りられるだけのお金を借りました

しかし、必要な治療費は30万元、日本円にして400万円です

中国よりずっと裕福な日本でも庶民にとっては大金になるような治療費を中国の農民が、どうにかできるはずもありません

集めたお金は焼け石に水でした

かわいい我が子の治療費を集められない心労からか日々痩せていくお父さんを目にして少女は懇願しました

「お父さん、私、死にたいもともと捨てられた時にそのまま死んでいたのかもしれないもういいから……退院させて下さい」と。

お父さんは少女に背を向けて溢れ出た涙を隠しました

長い沈黙の後「父さんは家を売るから大丈夫だよ」と言いました

それを聞いて、女の子も泣き出しました

「もう人に聞いたのお家を売っても1万元しかならないのでしょ治療費は30万元ですよね」と……。

6月18日少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に『私は娘への治療を放棄する』との書類を提出しました

彼女はまだ8歳でした幼い子に辛い思いをさせてしまったことを知ったお父さんは病院の隅で泣き崩れました

そして娘を救うことのできない自分を恨み、運命の理不尽に怒りを覚えました

娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられた上に貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません

8歳になっても靴下さえ履いたことがありませんそれでなくても辛い人生を歩まなくてはいけなかったのにさらに追い打ちをかけて病に苦しめられるとは退院して家に戻った少女は入院する前と同じように家事をし、自分で体を洗います

お父さんに、自分は勤勉でかわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残して欲しいそう願いながら、1つだけお父さんに甘えました

新しい服を買ってもらいお父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです

それもお父さんを思っての事

「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と…

ささいな幸せな日々も終わりが見え始めてきました

病気は心臓に及び始めついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました

苦痛から、学校に向かう小道を一人カバンを背負って立ち尽くすこともありました

そんな時には、目は涙で溢れていました

少女の死が近づいたころある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました

少女の話はたちまち中国全土に伝わり人々は彼女のことで悲しみわずか10日間に70万元の寄付が集まりました

女の子の命はもう一度希望の火が灯され彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました

化学治療の苦痛に少女は一言も弱音を吐いたことがありません

骨髄に針を刺した時さえ体一つ動かしません

他の子供も違って少女は自分から甘えることをしないのです

2カ月の化学治療の間に何度も生死をさまよいましたが腕のよい医師の力もあって一度は完全回復の期待も生まれました

しかし……

やはり化学治療は病が進行し、衰弱していた少女の体には無理を強いていたのです

化学治療の合併症が起き8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました

朦朧とした意識の中で彼女は余命を感じます

翌日、看病に来た新聞記者に女の子が遺書を渡しました

3枚もの遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています

8月22日病魔に苦しめられていた女の子は静かに逝きました

少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました

インターネット上も涙に溢れかえり彼女の死のニュースには無数の人々がコメントを寄せました

8月26日、葬式は小雨の中で執り行われました

少女を見送りに来た人に溢れ斎場の外まで人で埋まりました……

女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります

写真の下部に『私は生きてました。お父さんのいい子でした。』とあります

墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてありますがその文面の最後は『お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる。』と誰かによって結ばれています

  1. 2012/04/17(火) 11:58:34|
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