泣けるまぁちゃんねる

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親父の手

昔、子供の頃
よく親父と手を繋いで歩いた・・・
親と手を繋いでみてください・・・
40年ぶりに親父と手をつないだ
なぜか・・・少しやさしい気持ちになれた
なぜか・・・少し心がゆたかになって
なぜか・・・少し感動した
ちょっと前
八歳になる息子と
イルミネーションを見に行った
イルミネーションのトンネルの下で
息子と手を繋いで歩きながら色々と考えた・・・
「今年もここに息子と来ることができてシアワセだな・・・」
「来年もこうしてここで手を繋いで歩けるかな・・・」
「来年はまだ三年だから手を繋いでくれるかな・・・
でも、
再来年は四年生になるからだめかな・・・」
「こいつが二十歳になったら一緒に酒呑みたいな・・・」
次の瞬間・・・気がついた・・・
「親父も俺が子供の頃同じように思ったんだ・・・」
考えてみると
まだ一度も二人で呑んだ事はない・・・
もちろん小学生の頃から手を繋いだ事もない・・・
48歳になる自分でも
80歳になる父とっては 
永遠に子供・・・
きっかけを作り
「手を繋いでみよう・・・」と思った
親父の好きな八代亜紀を見に行き
その後居酒屋で呑んだ
酔った親父を介抱するふりをして
階段で手を繋いでみた・・・
40年ぶりの親父の手は
やわらかくて
小さくて
しわくちゃになっていた・・・
ふと子供の頃を思いだした・・・
その瞬間涙があふれてきた・・・
ぬぐっても・・・ぬぐっても・・・
自分でもわけがわからないくらい・・・
自分はあの日から
少しやさしい人間になれた気がする・・・
あと何回息子と手を繋げるだろう・・・
あと何回親父と手を繋げるだろう・・・
親と手を繋いでみてください
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  1. 2012/06/17(日) 12:00:00|
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僕のお父さん

今日は父の日ですね
父の日の直接の話しではないですけど
泣ける話しを紹介します




小学生の時僕はイジメられていた。
無視されたり叩かれたり・・・。
死にたいとは思わなかったけど、学校に行くのはとても辛かった。
イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど、他の子たちは自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。
ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。
書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。
あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけでイジメられるのかなと子供心にとても不安だった。
でもそれしか書けなかった。

作文は授業の終わりと同時に集められ、先生は「来週、発表会をします。」と言った。

先生は「なんでもいいんだよ。遊びにいった事とか、お父さんの仕事の事とかでいい。」と言っていた。
けど、僕はなかなか書く事ができなかった。
クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。

結果から言うと、作文は書いた。
先生はそのまま教室を後にした。
その後は頭を叩かれてイジメられているふだんの僕がいた。


「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」

今日は作文の発表会の日。

ただひたすら「僕の作文は選ばれませんように。」

ただ祈って下を向いているだけだった。

発表会は順調に進み、あと10分で授業も終わるところまで来ていた。

僕は少し安心していたのだが、その期待は無駄だった。

「では、最後に〇〇君に読んでもらいます。」

頭の中は真っ白だった。

「あの、先生・・・僕はお父さんの事書いてないです。」

クラス中から非難の声が上がった。

「バカじゃねえの?廊下に立ってろよオマエ。」

いろいろな声が飛び交ったが、非難の意見はみんな一緒だった。

もうどこにも逃げられなかった。

「静かにしなさいっ!」

突然の大声に教室は静まり返った。

「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください。」

「さあ読んでください。」

いわれるままに僕は作文を読んだ。




僕のお父さん。
僕のお父さんはいません。
幼稚園の時に車にはねられて死んだからです。
だからお父さんと遊んだのもどこかへ行った事もあまりありません。
それにお父さんの事もあまりおぼえていないです。
写真があるのでみましたがおぼえていないです。

だからおばあちゃんとお母さんのことをかきます。
お母さんは昼間しごとにいってお父さんののかわりに働いています。
朝はやくから夜おそくまでいつも働いています。
いつもつかれたといってますが、甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるのでとてもだいすきです。

おばあちゃんはげんきで通学路のとちゅうまでいつもいっしょに歩いてきてくれます。
ごはんはみんなおばあちゃんが作ってくれてとてもおいしいです。
お母さんが働いているので父兄参観の時にはおばあちゃんが来てくれます。
みんなはおまえの母ちゃんババァなんだとからかってくるのではずかしったけど、でもとてもやさしいいいおばあちゃんです。

だからお父さんがいなくても僕はあまりさびしくありません。
お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。
お母さんは「お父さんがいなくてゴメンね。」
と言ったりするので、早く僕が大人になって仕事をしてうちの家族のお父さん代わりになって、お母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います。

だからおばあちゃんには
「長生きしてね。」
といつもいっていて、お母さんにはいつも肩をもんであげています。
二人とも泣いたりするのですこしこまるけど、そんなお母さんとおばあちゃんが僕は大好きです。




一気に僕はしゃべった。
先生には死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、クラスの子達からは
「おまえお父さんがいないのか?もしかして捨て子だったんじゃねえか?」
とまたイジメられるのかなと思ったりしていた。
顔をあげる事もできなかった僕は救いを求めるように先生の顔を見てみた。




先生は立ったまま泣いていた・・・。

先生だけではなかった。
他の子たちもみんな泣いていた。
僕が始めて好きになった初恋の子は、机にうつぶして泣いていた。
イジメていた子たちもみんな泣いていた。

でも僕にはなぜみんな泣いているのか分からずにいた。
どうして?
お父さんがいないからお母さんとおばあちゃんの事を仕方なく書いたのに。
どうしてみんな泣いているのだろう?

「〇〇君・・・。」
「はい・・・。」
「先生は人の心が分からないダメな先生でした。ゴメンなさい。世の中には親御さんのいない子もいるのにね。そういう子たちの事も頭になくてお父さんの事を書いてだなんてあなたの事も知らなかったとはいえ本当にごめんなさいっ!」

先生は顔を覆ったまま泣き崩れていた。




それがその日起こった出来事だった。

次の日からなぜかイジメられなくなった。
相変わらず口悪くからかったりはされたけど殴られる事はなく、イジメのリーダー格の子に遊びに連れていってもらえるようになった。

先生はその後の家庭訪問でその日の出来事をおばあちゃんに話して謝っていた。
作文の事は僕は話もしていなかったので少し怒られたけど、話を聞いた母も、今は亡くなったばあちゃんも、うれし泣きみたいなくちゃくちゃの顔で叱ってくれた。

僕も立派な、人に誇れるような仕事はしていないけど、家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたとは思う。

大人になった今でもその時の事はなぜか覚えているし、ふと思い出したりもする。
これが僕がかける自分の思い出です。
  1. 2012/06/17(日) 00:00:01|
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おなかの中にある未来

これを見てくれている方が子供を授かった話しを聞いて、ぜひ知ってもらいたい話しを紹介します

妊娠することは奇跡だし、出産することは神秘だと思う

自分は男性だから、子供を産むことは出来ないが、優しい気持ちになれる話しなんで、みんなにこれから子供を出産する前に見てほしいです




妊娠検査薬で陽性反応がでた

私は真っ先になぜか鏡の前に立ち、自分の顔を見た

「私、お母さんになるんだ」

口に出したら自分でも理由が分からない涙が流れてきて、頭の中にたくさんの人の顔は浮かんだ

夫の顔、両親の顔、友人の顔、仕事仲間の顔・・・

今はペタンコのこのお腹の中に、もう命が一つ宿っているんだ

近くの産婦人科へ自転車を漕ぎながら、「この子が宿ったと分かった日の空が、こんなに澄んで輝いていたことは覚えておこう」と思った




妊娠してみて思うことは「妊娠って面白い」ということ

街を歩けば妊婦さんはたくさんいる

皆、日に日にお腹を膨らませて、時が来れば痛くて大変なお産をしてママになる

そういうものだと思っていた

まさかこんな風におへそが出てきたり、プロレスラーみたいに大きなパンツをはいていたなんて!

など、ここには到底書けないような、あんな変化こんな変化、体の不思議、命の神秘、面白い!




それから、望む未来の時間が長くなった

たとえばある日の夕方、ベランダに出ると夕日がきれいで風が気持ち良くて、子どもの声やカレーの匂いがどこからかしたりして、そんな時、「この子が大人になった時にも、同じように気持ちの良い平和な夕方がありますように」と願う




自分一人なら世界と関わる時間は長くてもあと60年くらいのものだ

でもここに命が芽生えたこの瞬間から、絶対に平和であってほしいと思う未来が、グンと延びた

そのために節電とか節水とか、今できることがあるならやらなければと、今までも、どうでもいいと思っていたわけではないけれど、より強く、リアルにそう感じるようになった




そして何よりも、命の尊さを感じている

私に赤ちゃんができたことを人に伝えると皆、私の方が驚くほどに喜んでくれる

特に私の父に話した時の、あの父の顔を私は一生忘れない

夕食の時、乾杯と同時に「私、赤ちゃんができました」と、少し恥ずかしい気持ちで伝えると、父の目はまん丸に開き、背筋がグンと伸びて、息さえ止まった様に驚いた顔をした

それから次にポロポロと涙を流し、頭をかきながら、「そうかぁ・・・良かったぁ・・・良かったなぁ・・・」と何度も言い、背中を丸めた

私も母も夫も、予想もしない父の反応にもらい泣き

父は私の結婚式でも泣かなかった

私でさえ父をこんなに喜ばせたことはない、こんな風に泣かせたことなどないのに、私のお腹の中の、たった1ミリの点のような「命」が強い父を泣かせている

命であるというだけで、こんなにも人を喜ばせるんだ

そうか、命ってこんなにも尊いものなんだと身に染みて感じた




それからいろいろな人の祝福を受けながら、現在妊娠8か月

夫は優しく「ストレスフリーが何よりの胎教だ」と言って、私が楽しいと感じることに協力し、自由にさせてくれる

夫の両親も、おくるみやママバックを手作りしたり、私の体調を気遣ってあたたかい言葉をかけてくれる

友人たちは皆、私の変化を一緒に楽しみ、この子の誕生を待ってくれている




ある時、夫が私に言った

「君の両親に感謝している」と

私が「何で?」と聞くと、私を私に育ててくれたからだと答えた

嬉しくてまた泣いた

私の両親が私にしてくれたこと、夫の両親が夫にしてくれたこと

同じように同じことを私たちがこの子にしてあげることはできないかもしれない

けれど一番大切なものは、もう受け継がれているような気がする

膨らむお腹の分だけ勇気が凛々と湧いてくる
そして、まだ見ぬあなたに伝えたい

「安心して生まれてきてね。皆があなたの誕生を喜び、楽しみに待ってるよ。ここは愛に溢れた素晴らしい世界だよ。」と
  1. 2012/06/14(木) 22:57:14|
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子どもたちは花の種 ~ マサフミという少年

以前紹介した、「夜回り先生」の活動のきっかけの一つになった話しを紹介します


マサフミという少年


よく薬物の専門家たちは「真面目な子ほど、薬物を真面目に使って死んでいく。心に傷がある者ほど、その傷を埋めるために必死に使って死んでいく」と言います。

マサフミもそんな少年でした。

マサフミがいなかったら僕は薬物と闘っていなかっただろうし、ある意味では幸せだったかもしれない。


彼は高校生の入学生にもシンナーを吸ってくるほどの依存症で、僕が夜回りで見つけた時も、夜の公園で空き缶を使ってシンナーを吸っていました。

なぜか最初から気が合って、その日、空が明るくなるまで語り合っていました。

彼は幼い頃に暴力団抗争で父を亡くし、以来母親と2人で6畳1間、風呂なし、トイレ共同の木造アパートに住み、貧しいながら幸せに暮らしていました。
 
母親思いでね、小学校の時は学級委員をやるほど真面目で優秀だったそうです。


ところが、5年生の時、母親が過労で寝たきりになり、生活が一変してしまう。

電話、電気、ガスは止められ、食べ物にも困るようになった。
 
マサフミはコンビニを1軒1軒回り、「僕の家は貧しいから、捨てるお弁当をください」と頼んで歩いたそうです。

ほとんどが「余ったお弁当は業者に戻さなければならない」と断る中、遠くの町にある1軒だけが、「弁当を戻すのは午前2時だよ。そんなに遅くに来られるかい?」と言ってくれた。

その日から午前零時に家を出て、捨てる弁当を貰いに行きました。
 
しかし、親子2人、当然弁当1つでは身が持ちません。

マサフミは給食のおばさんに「公園の犬に餌をやるから」と嘘をついて、余ったパンと牛乳をもらうことにしました。
 
ところが、子どもたちは敏感です。

彼が給食の余りをもらっていることはすぐに同級生に知れ渡り、それから猛烈ないじめが始まった。
 
 
一番辛かったのは、帰り道に公園に連れていかれ、せっかくもらったパンを地面にばらまかせ、ことごとく踏みつけられた時だったとは言っていましたね。




そんな状況を見かねて助けてくれたのが、同じアパートに住む暴走族でした。

暴力で同級生たちを抑え込み、マサフミは6年生からその仲間となった。

母親は「息子が暴走族になったのは自分が病に倒れ、貧しい暮らしをさせたせいだ」と自分を責め、自分を責める母親を見るとマサフミはますます辛くなった。
 
そこから逃れるためにシンナーに手を染めていったのです。

公園で会った次の日、学校へ来たマサフミは僕の顔を見るなりこう言いました。

「先生、俺シンナーやめるよ。昨日からいろいろやめ方を考えたんだけど、いい方法を思いついた。先生と一緒に暮らしたら吸えないよな」

「そうだな。いいよ、今日から家に来い」

そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、「もうシンナーやめれれた。母ちゃんが心配だから家に帰るよ」と言って帰っていく。
 
しかし、2、3日後には、夜中に泣きながら電話をして、「俺、また使っちゃったよ。体が勝手に動いて、先輩の家からもらってきた……。先生、俺のこと嫌いになる?」

「いいよ、きょうから家に来い」

そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、「もうシンナーやめられた。母ちゃんが心配だから家に帰るよ」と言って帰っていく。

しかし2、3日後には、夜中に泣きながら電話をして、「俺、また使っちゃったよ。体が勝手に動いて、先輩の家からもらってきた……。先生、俺のこと嫌いになる?」

「いいよ、しょうがないよ。また明日から家に来い。焼き肉してやるよ」

そしてまた僕の家に来る、その繰り返しでした。



 
6月も下旬を過ぎた頃、授業を終えて教室に戻ると、マサフミが新聞の切り抜きを持って待っていました。

「俺、やっぱり先生じゃシンナーやめられない。この新聞に載っている『神奈川県立精神医療センターせりがや病院』ってところは、シンナーや覚せい剤をやっている10代の子を治してくれるんだって。連れて行ってよ」

僕はカチンときました。
 
こんなにしてやっているのに、俺じゃダメだって言うのか、そう思うと、腹が立って仕方がなかった。

だから、その日僕は冷たかった。

「分かった。連れていってやるよ。でも今週は忙しいから来週だ」

そう答えると、マサフミは「きょう先生の家に行っていい?行っていい?」とまとわりついてきました。
 
でも僕は、その日は一緒にいたくなかった、だから嘘を言いました。

「ダメだ。きょうは神奈川県警と山下公園の公開パトロールをするから、おまえを連れていけない」そう言って、夜10時頃、彼を騙して追い返したんです。

マサフミはエレベーターホールへ向かって歩きながら、何度も何度も僕を振り返って、最後に一言叫びました。


「水谷先生ーっ、冷てぇぞ!!」


それが最後の言葉で僕はあのまま帰せば雅文が「さよならシンナー」をやることは分かっていました。

友達に「俺、今度こそシンナーやめる。月曜日に病院に行くんだ」と言うと、「じゃあ最後に“さよならシンナー”やるべ」となることは予測できていたんです。

それでも僕は騙して彼を帰した……。




僕と別れて4時間後、6月25日の午前2時、マサフミはシンナーを吸って、フラフラと道路に飛び出し、ダンプカーに轢かれて即死しました。

シンナーの幻覚で、ライトが何かキラキラしたきれいなものにでも見えたんでしょう。

両手でつかむように飛び込んでいったといいます。




マサフミは僕が殺した最初の子です。

僕はもう教員なんてやる資格はないと思いましたね。

学校を辞める決意をして身辺整理をしていましたが、その時、あの日マサフミが持ってきた新聞の切り抜きが出てきた。

気持ちの整理をつける意味でも、彼を連れていく予定だった、「せりがや病院」の院長を訪ねました。




そこで院長に言われた言葉を、僕は一生忘れることができません。

「水谷さん、彼を殺したのは君だよ。シンナーや覚せい剤は簡単にやめることはできない。それは“依存症”という病気だからだ。それをあなたは愛の力で治そうとした。高熱で苦しむ生徒を、愛情込めて抱きしめたら熱が下がりますか?『おまえの根性がたるんでいるからだ』と叱って下がりますか?病気を治すのは、私たち医者の仕事です。無理をしましたね」

返す言葉がなかったですね。

そんな僕にさらに院長は続けました。

「あなたは正直な人だから学校を辞めようとしているのかもしれない。辞めないでください。いま薬物が若者の間で急速に広がっているのに、それに取り組む教員が1人もいない。われわれと一緒に戦いましょう。




子どもたちは花の種です。

でもその花は決して夜の世界では咲かない。

温かい太陽の下でしか花を開かせることができないのです。

昼の世界が優しくして、自己を認めてくれて、受け入れてくれるならば、どの子が夜の世界へ行きたいか。どの子がリストカットをするか。
 
本当はどの子も夜は温かい家で、優しさに包まれて、安心して眠りたいのです。

それを用意するのがわれわれ大人の仕事です。

  1. 2012/06/10(日) 09:51:18|
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将来の夢はなんですか?

私が小さな小さな建築関係のメーカーの担当営業をしていた頃、私の担当には小さな個人商店がありました
 
先代の社長を亡くし、若くして後を継いだ社長には二人の男の子がいました
 
経営は苦しく、競合ひしめく地域で経験の無さも手伝い、大手にお客さんを持っていかれ見てるのも悲惨な状況の中必死に頑張る社長の姿がありました
 
苦しい経営の割りには支払いは良く無理も言わず、若い私にも優しくしてくれました
 
「一緒に成長しような」と、いつだって前向きな社長が私も大好きで、いつもそこにお邪魔しては商売の話やガンダムの話しに花を咲かせていました
 
私の会社には特別な得意先に配る野球券(東京ドーム)があり、先代の社長が健全で売り上げが好調だった時にはたまに配ったりもしていたのですが、やはり担当営業に配分される年間シート割り当ては昨今の不況の影響で大幅に減り、貴重な営業ツールとなっていました
 
 
 
ある日「〇〇君…頼みがあるんだけど」と私に切り出してきて、「来月隼人の誕生日なんだけどな…野球が好きなんだよ、この売り上げじゃ貰えないと思うんだけど、頼む!」
 
と珍しくわがままを言ってくる社長の言葉に断りきれず野球券をあげました
 
 
 
しかし社長はその月、事故で亡くなり野球券は仏壇に飾られることになった
 
棺桶の隣に楽しみにしていた野球券がそっと置かれているのを見た時、涙が止まらなかった
 
 
 
数ヶ月後、亡くなった社長の会社は潰れた
 
 
 
それから8年経った後、私は分不相応にも営業3課長の任を受けました
 
そして二次面接の面接官をしていた時、懐かしい声が聞こえました
 
「〇〇大学の〇〇隼人です」私には彼が誰かすぐに分かりました
 
あまりに声があの社長にそっくりで…私は彼に一つだけ質問をしました
 
 
 
「将来の夢はなんですか?」
 
そしたら面接で言わなくていいことを堂々と「独立して会社を興すことです!父を超えたいんです!」
 
私は隣にいた人事部長に言いました
 
「僕が預かります…」
 
彼は今年度、営業戦略拡販商品のトップセールスに選ばれる事になりました
 
これから先、会社を辞めて独立したいといった時はもう止める気はない
 
 
 
  1. 2012/06/09(土) 17:38:43|
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天国からの手紙

天国からの手紙
 
 
 
 
米国の4歳の女の子が愛犬の死を受けて、神様に手紙を送ったという話しが米国のニュースサイトのニュースバインというので話題になった話しを紹介します。
 
 
このエピソードは、女の子の母親から送られてきたメールを見た記者が「伝えずにはいられない」と思い、紹介したものだそうです。

この母親の家ではアビーという14歳になるメス犬を飼っていたが、先月、病気で亡くなってしまってしまいました。

ずっと一緒に生活を送っていた4歳の娘メレディスちゃんは涙を流し、「どんなに寂しいか」を母親に訴えていたという。

そして、アビーへの愛情を忘れられないメレディスちゃんは、母親にこんなことを言ったそうです。


「神様に手紙を書いたら、アビーが天国に着いたとき、神様はちゃんと『アビーだ』ってわかってくれるかな?」。
母親はメレディスちゃんが話す言葉を書き留め、手紙をしたためた。


その中身は

「神様、アビーがいなくなり、とても寂しいです。どうか天国でアビーと遊んであげてください。アビーはボール遊びと泳ぐのが好きです。神様がアビーを見つけたとき、すぐに私の犬だと分かるように、写真を送ります」という内容です。幼いメレディスちゃんの精一杯の愛情が込められた手紙です。

手紙と写真を入れた封筒には「天国の神様」とあて名が書かれ、ポストに投函されました。

手紙が届いたか心配する娘に、母親は「きっと届いたよ」と励ましていたそう。

すると10月27日、家の玄関前に金の紙で包まれた「メレディスへ」という小包が置かれていた。

中には「ペットが死んだ時」という本。

そして、そこには“神様からの手紙”が添えられていた。


「親愛なるメレディス。アビーは天国につきました。写真が入っていたので、すぐにアビーと分かりましたよ。もうアビーは病気ではありません。アビーはあなたと居るのが好きでした。天国では体を必要としないので、写真を入れておくポケットがありません。だから、あなたがアビーを思い出せるように、この本と一緒に写真を返します。素晴らしい手紙をありがとう。それから、手紙を書くのを手伝ってくれたお母さんにお礼を言ってください」

ニュースバインの記事の最後は「誰が答えたかは分かっていません。でも、米国郵便公社の配達できない手紙を扱う部署には、美しい魂があります」と結ばれているそうです。
  1. 2012/06/07(木) 22:13:50|
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夢の時を生きる

夢の時間




大人であること


それ自体が

夢を生きていること


気づいていますか?




小児がん病棟に

一人の男の子がいました。


彼の名はしゅんくん。


彼の脳の腫瘍は手術できないものでした。




でも彼はいつも

看病してくれる人たちに

明るくふるまっていました。


病状が進行したある日、

彼は斜視になっていました。


そのことに気づかせないように、

お母さんや看護師さんは

必死に鏡を隠して、

夜になると、

窓が鏡の代わりになるので、

カーテンをしめていました。




ある日、

そんな事情を知らない

一人の新米看護師さんがやってきました。


彼女の胸ポケットに手鏡があることに気づいたしゅんくんは、

「その鏡貸して!」といいました。




鏡を見たしゅんくんは、

変わってしまった自分の顔を見て、

泣くこともなく一言いいました。




「僕が鏡で顔を見たこと、

お母さんには黙っててね。

きっと悲しむから。」




そんな心優しいしゅんくんが、

一度だけ我がままを言いました。


亡くなる2日前のことでした。




「僕は大人になりたいよ」


そう周りの人に訴えたのです。


周りの人たちは慌てて

「何言ってるの?

なれるに決まってるよ!」

その姿を見て、

大人たちの姿を見て

しゅんくんは口をつぐんでしまったのです。




彼の夢は

「大人になること」




大人の私たちは今、

彼が夢見て果たせなかった

そんな「夢の時」を

生きているのです。




「仕事がなくて死にたい」

そんな状態だったとしても、

彼が生きていたらきっと、

笑って、「大丈夫」って思ったでしょう。


「失恋して死にたい」

そんな状況でも、

彼だったら、

その失恋を笑ってやり過ごしたでしょう。




彼の夢は

「大人になること」


それが叶っているのだから。




私たち大人は今、

「夢の時」を生きています。


だから、

たとえ辛いことがあったとしても、

「夢の時」を

生きていきたい。



  1. 2012/06/04(月) 14:44:50|
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