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ワールドカップの贈り物

気がつけば、この「泣けるまぁちゃんねる」もついに100話になりました
せっかくだから自分のお気に入りBEST 3のオススメする話しを紹介します

2002日韓ワールドカップの時の話です




「ワールドカップの贈り物」

デンマーク、皆さんはこの国をご存知ですか?

正式国名「デンマーク王国」
北欧の端に位置し、面積は43000平方キロメートル、北海道の半分ぐらい
首都はコペンハーゲン、人口は531万人いたって小さな国である
言語は通常語はデンマーク語、英語でもほぼ通用する

欧州選手権に84年初出場、ワールドカップ初出場は86年
この80年代から、世界がデンマークのサッカーを認めだした

このころから、彼らの躍進ぶりとスタイルから世界のサッカーファンは彼らのことをダニッシュ・ダイナマイトと呼びはじめたのである

そんな彼らが今大会、2002年日韓ワールドカップに出場することとなった

2大会連続、3回目の出場を決めたデンマーク

そして、このデンマークが今大会のキャンプ地を和歌山県に決めた

そして、和歌山県であるが他の立候補地と同様に和歌山県側も誘致に必死であった

デンマークへ何度も訪れた

この苦労が実りキャンプ地決定の知らせを受けた

この一報に和歌山県の関係者は涙したという

和歌山に決めた理由は「日本のほぼ中心地であり、関空に近いから」という

それだけの理由だった




アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないしデンマークという国の存在自体は知っていてもどんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです

もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった

和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという

「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」

「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの?イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」

「う~~ん・・・知らない。だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」

デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たちばかりであった

最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である

最初の見学者は数百人程度であった、しかしこの数字が日々増えていった

この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う

ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは非公式、非公開が通例であるが、デンマークは違った

練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した

さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ一緒にミニサッカーを行ったりもした

この評判を聞きつけ、デンマークというチームが「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当あったという

そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった

初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人、その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた

練習後には気軽にサインに答える選手たち

監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした

この監督にある記者が聞いた

「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけどデンマークはこれでいいのですか?」と聞いた

すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた

「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない、絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ。何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが喜んでくれることはどんどんするべきなんだ。試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」




このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだがエピソードをもう一つ

ホテル入り初日のことである

デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後、再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた

「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい、聞いておきたいことがあった

彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった

それは食事の問題であった

ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった

食事が口に合わない、それが原因ということだけは避けたかった

他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたという事を聞いていた

「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を言われたという事を彼らは聞いていた

デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った

こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」

それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って挨拶にいったんですよね」と言っていた

その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた

そして通訳を介し、監督に聞いた

「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた

するとオルセン監督はこう答えた

「一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になります」

この言葉に驚いた支配人とコック長

「いや、やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」

「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事もそちらにお任せしようと私と選手たちは言っていた。選手も理解している。全てをあなたたちにお任せします」

「あの~他の国とかのホテルにお聞きすると、食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして」

この言葉にオルセン監督はこう言った

「他国は他国、我々は我々です」

この言葉に支配人は「あの言葉で本当にホッとしましたよ。滞在中は無事に過ごせていただけるとあれで思いましたね」と言っていた

さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという

「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」

緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長

そして、コック長に聞くオルセン監督

「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた

この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた

「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」

するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った

「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください。あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせてやってください」と言った

この言葉にコック長は大変感激した

「世界の代表監督が、あんないい人だったからね、いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた

この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった

選手たちも同様だった

最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた

「デンマークでは食事するとき神への祈りをするのだが、日本では食事始める時に何かするんですか?」

デンマークは国民の9割がプロテスタントである

神への祈りを終えてから食事を始める

この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである

これに答える通訳

「日本でもキリスト信者は神に祈ってから食べるけどたいていは手を合わせて『いただきます』と言ってから食べます」と答えた

すると彼は「こうやるの?」と通訳に聞きつつ、手を胸の前で合わせた

これに通訳は「そうそう!その両手をもう少し上に上げて!」と言った

その言葉に彼は顔の前まで手を上げる

「そうそう!」と答える通訳

そして彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた

それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた

この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち

コック長は言った「今の日本人でも『いただきます』『ごちそうさま』言えないヤツが多いのに外国の人にあんなことされたらね~むちゃくちゃ嬉しかったですよ」

この最初に手を合わせた選手の名をトマソンといった




このトマソン選手、今大会では4得点をあげデンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である

あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも有名な彼

彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ

トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい




それはある握手会でのことである

デンマークというチームは前述したように練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った

練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い握手会、サイン会もたびたび行った

そのひとコマの話である

あの日も、いつものごとくサイン会が行われた

気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった

あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた

気軽にサインをするデンマーク選手たち

もちろんトマソンもその中にいた

その最中のことである

トマソンの前にある少年が立った

彼はトマソンの前に立ちつつも、少しモジモジしていた

後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す

「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた

トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう

通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた

意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した

それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという

英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった




「ボクは小さいころに、病気にかかって口と耳が不自由です。耳は聞こえません、話せません。だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです。デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです頑張ってください」

その手紙に通訳もその場にいた我々記者も驚いた

言葉が出なかった

だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に「それなら君は手話はできますか?」と手話で語りかけた

その『言葉』に驚く少年と母親

再度聞くトマソン

「手話はわかりませんか?」

それを見ていた記者はトマソンに英語で言った

「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った

手話を万国共通と思う人が多いのだが国によって違う、ましてや日本国内でも地方によって違う

「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン

そして彼は通訳にこう言った

「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った

微笑んで「わかりました」と答える通訳

トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った

後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった、一言も文句を言わなかった

彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう

そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった




「君はサッカーが好きですか?」

「はい。大好きです」

「そうですか。デンマークを応援してくださいね」

「はい。あの聞いていいですか」

「いいですよ。何でも聞いてください」

「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」

この少年の質問に彼は答える

「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます。その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」

その彼の言葉をじっくりと読む少年

そしてトマソンは少年に言った

「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが、君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています。君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」

この言葉に黙ってうなずく少年

「わかっているなら、オーケー!誰にも辛いことはあります。君にもボクにも、そして君のお母さんにも辛いことはあるのです。それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った

このやり取りに涙が止まらない母親

この光景を見ていた我々記者も涙した

その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した

そして、トマソンは最後に少年にこう言った

「ボクは今大会で1点は必ず獲ります。その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるようにボクは祈っておきます」

この言葉にこの少年は初めて笑顔を浮かべた

「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った

そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親

記者の取材に母親は目に涙を浮かべて言った

「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ。日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」と涙を流し、笑いながら言った




そして、このトマソン、少年との約束を守り、得点を決めた

1点どころか、彼は4得点という大活躍だった

こんなトマソン、デンマークを見た記者自身もいっぺんにファンになってしまった

1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク

彼らをボクは応援した

もちろん和歌山県民も応援に訪れた

試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた

オルセン監督は言った

「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかったあれが我々の力になった」

和歌山県民の応援も実ったのであろう

フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け

見事1位通過を決めたのである

そして、向かえた決勝トーナメント1回戦

場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった

スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた

その声に記者は叫ぶ

「ダニッシュ・ダイナマイトでにわかイングランドファンを黙らせろ!」

「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた

だが、この応援も届かなかった

和歌山県民の想いも通じなかった

デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった

その日の和歌山県には雨が降ったという

県民の涙雨だったのかもしれない




負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた

「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった

だから、彼らは行なった

デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた

そこに駆けつける多数の県民

会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた

その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督

もちろん選手たちも全員出席した

あのトマソンもその場にいた

そこでトマソンは見つけた

『あの少年』を見つけた

少年と母親もその会に出席していた

少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン

トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる

少年はトマソンへ笑顔を向ける

そして、トマソンは少年にこう語りかけた

「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた

これに少年は答える

「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです。それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」

「ありがとう」と言うトマソン

そして、この少年にトマソンは言った

「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」

「はい」




「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている。それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
ボクが言いたいことわかりますか?」

「はい」

「神様は君に試練を与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれるはずです。そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは言った

この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った

そして2人は

「さようなら」

「頑張って」

という言葉を残し彼らは別れを告げた

最後に2人は仲良く写真におさまった

飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人

この写真は少年の宝物になることだろう

トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・

彼の転機になることを記者は祈ってやまない

小さな少年、心優しきトマソンにこれからも栄光あれ

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  1. 2012/07/28(土) 11:31:57|
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勇気を与えた少年

「もう死にたい・・もうやだよ・・・つらいよ・・・」
 
妻は産婦人科の待合室で人目もはばからず泣いていた。
 
前回の流産の時、私の妹が妻に言った言葉、「中絶経験があったりすると、流産しやすい体質になっちゃうんだって」。
 
あまりにも人を思いやらない言葉に私は激怒し、それ以来妹夫婦とは疎遠になっている。
 
妻は口には出していないが、もうすごく辛い思いをしていたと思う。
 
だから、今日までなんとか二人で頑張ってきたが、3度目の流産。
 
前回も前々回の時も、「また、頑張ろう」と励ましてきたが、励ます言葉が妻にプレッシャーをかけるような気がして、何も言えなかった。
 
いや、そうではない。
 
今考えるとおそらく、3度目の流産を告げられて、子供がいない人生を私は模索し始めていたんだと思う。
 
私は冷酷な動物だ、情けない。「ごめんね・・・でももう私頑張れないかも。もう駄目だと思う」。
 
待合室に妻の嗚咽だけが響く。
 
その時、妻の隣に4~5才くらいの男の子が座った。
 
「あのね、これあげるから、もう泣かないで」。
 
その子が差し出した手に上には二つの指輪。おそらくお菓子のおまけだと思う。
 
「水色のは泣かないお守り。こっちの赤いのはお願いできるお守り」。
 
「いいの? だってこれ、ボクのお守りなんでしょ?」。
 
「いいよ、あげるよ。ボクね、これ使ったら泣かなくなったよ。もう強い子だからいらないの」。
 
「赤い指輪は?お願いが叶うお守りなんでしょ?これはいいよ」。

「これね。二つないとパワーが出ないんだって。お父さんが言ってた」。
 
そういうと男の子は「だから泣かないで」といいながら妻の頭を撫でた。
 
すこし離れたところから「ゆうき~、帰るよ~」という彼のお父さんらしき人が彼を呼ぶと、男の子は妻のひざに2つの指輪を置いて「じゃあね、バイバ~イ」と言って、去っていった。
 
いまどき珍しい、五分刈頭で、目がくりっとしたかわいい男の子だった。
 
私はその子の後姿をずっと目で追っていたが、ふと隣を見ると妻は二つの指輪をしっかりと握り締めていた。
 
迷信とか宗教とかおまじないとか、そういったものは全く信じない二人だけど、この指輪だけは、私たちの夢を叶えてくれる宝物に見えた。

その日から妻は、さすがに子供用の指輪なのでサイズが合わないため、紐をつけてキーホルダーにしていた。
 
それから2年半後、我が家に待望の赤ちゃんが誕生した。
 
名前はあの子にあやかって「有紀(ゆうき)」にした。

 
ゆうきくん、あの時は本当にありがとう。

あの時、君に会えていなかったら、君に慰めてもらえなかったら、今、この幸せを感じることはできなかったと思う。

私たち家族は、君に助けてもらいました。
 
君からもらった二つの指輪は、娘のへその緒と一緒に、大事に保管してあります。
 
我が家の宝物です。
 
うちの娘も、君のように人に幸せを分けてあげられるような子に育って欲しい。
本当に、本当にありがとう。


という話しです

子供の純粋な優しさが、ココロに響きました

見返りばかりを求める時代に、このような幸せや優しさを分け与えられるなんていいですよね
  1. 2012/07/14(土) 15:09:30|
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七夕

七夕にちなんだ、ココロあたたまる素敵な話しを紹介します




知的障害者の兄をもつ小学一年生の子(弟・ゆうくん)の話です。


入学式の日、ゆうくんの席のとなりに小児麻痺で左腕が不自由な子(あつしくん・仮名)が座っていました。


最初の体育のときでした。


手が不自由な小児麻痺のあつしくんは着替えるのに20分以上かかってしまいました。


時間がかかっても先生は何も言わずそっとしておきました。


でも、二度目の体育の時間にはあつしくんは遅れることなくみんなと一緒にきちんと並んで待っていました。


どうしてだろうと思った先生は次の体育の前の休み時間にそっと陰から見てみました。


すると隣の席のゆうくんが自分の着替えをいそいで終わらせてから、手の不自由なあつしくんの着替えを小さい手で一生懸命手伝ってあげていたのです。


そして、あつしくんの着替えが終わると笑顔で手をつなぎ元気よく校庭へ駆け出していったのです。


先生は、やはり何も言わず、見守ることにしました。




七夕の日のことです。


ちょうど授業参観日でした。


先生は前日、子供たちに願い事を書かせて、二つ折りにした短冊を教室の笹に下げておきました。


お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚短冊をひろげて読んでいきました。


小学一年生ですから、「かいじゅうのおもちゃをかってほしい」、「おこづかいもっとちょうだい」、「おやつをたくさんたべたい」等と書いてありました。


その中に一枚だけ、こう書かれていました。


「かみさま、あつしくんのひだりうでをなおしてあげてください。」


それは、ゆうくんが書いたものでした。


先生は、ゆうくんの健気で一途な祈りを読むと、我慢出来なくなり、体育の時間のことをお母さんたちに話しました。


あつしくんのお母さんは、自分の子供がどんなに教室で不自由しているのだろう、たくさん迷惑をかけているのだろう、申し訳ないという気持ちから、教室に入れず、廊下からじっと様子を見ていました。


が、先生の話を聞いた瞬間、廊下から勢いよく教室に入るなり、ぺったりと床に座り、ゆうくんの肩にしがみつき、涙を浮かべ、さけびました。


「ゆうくん、ありがとう、あつしから、着替えのときはゆうくんが手伝ってくれている話は、家で聞いたりしてたから授業参観が終わったら、ちゃんとお礼を言おうと思っていたけど、まさか七夕にあつしのことを想ってくれて、こんなに優しい友だちがいてくれたなんて、とてもしあわせだわ。本当にありがとう、短冊ありがとう、ゆうくん、ありがとう」


あつしくんのお母さんは、ゆうくんとゆうくんのお母さんに何度もお礼を言い、教室の中はとても温かい気持ちに包まれました。




という話しです

いくらお兄さんがハンデを持っているとはいえ、小学校一年生で相手のことを思いやり、祈ることができるだなんて素敵な話だと思いました。
  1. 2012/07/07(土) 11:14:13|
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お好み焼きの具

ある小学校の参観日。
 
先生が言いました。
 
「今日はお好み焼きの絵を描きます。その中で使う具にどんなものがあるか、みんなであげてみましょう。どんなものが、お好み焼きの中にあるかな?」
 
みんな、「ハーイ! ハーイ!」と手を挙げて言いました。
 
ある子どもが、家でお好み焼きを作った時には使ったことはないけど、あるお店に行ったら”チーズとお餅”も具にあったので、「先生!チーズとお餅!」と言いました。
 
すると先生は、「うーん・・・、チーズとお餅かぁ。それは変だなぁ・・・。ほかにっ!」と、他の子に、また手を挙げさせました。
 
その時、いままでハイ!ハイ!と楽しそうに手を挙げていた教室の空気が一変しました。
 
そして、すごく楽しそうに手を挙げていた空気から、今度は「いかに先生に気に入られるか」、というような答えになってしまいました。
 
そして、そのあと書いた絵が、全部同じようなものになってしまいました。だれ一人、個性的な絵を描いた子はいませんでした。
 
参観が終わったあと、個人懇談会がありました。
 
その子どもの母親がこう先生に言いました。
 
「先生、実はあの時、教室の空気が変わりましたね。そして児童はみんな、先生に気に入られる絵になってしまいましたね。実際に手を挙げて、”チーズとお餅!”といった子は、ウソをついたのではなく、本当にお店に行って、チーズとお餅を入れて食べたんです。だから、手を挙げて”チーズとお餅と言いました。それを、「それは変だなぁ・・・」といって、「他に」と言った瞬間、もうその子は手を挙げなくなってしまいました。先生に気に入った答えしか採用してもらえないと思ったんです。それって、子どもの芽を摘み取っていませんか? “そういうこともあるよね、それは面白いよね“と言って欲しかったと思いますよ。」
 
それを聞いた先生は、しばらくの沈黙のあと、ポロポロと涙を流してこういいました。
 
「そういう教師にだけはなりたくない。子どもの創造性や方向性を摘み取らないで、伸び伸びと子どもを育てて上げたいために、威張っている先生ではなくて、子どもの能力を伸ばしたいという、そういう夢と希望を持って、教師になったはずなのに、それがいつの間にか、私の中で失われていました・・・。今日は、このことに気付かせてくださってありがとうございました・・・」と深々と頭をさげられました。という話しです
 
 
自分も子供の頃、理科の時間に恐竜に色を塗る作業で赤やピンクやらの塗り絵をして提出したら、出すだけで60点もらえる課題で、30点をつけられた事のあるイタいコだったのを思い出しました
 
 
この話しを紹介された方は最後にこんな話しで、締めくくってます。「氷が溶けたら何になる?」
 
「春」
 
いい話しですよね

(^-^)
  1. 2012/07/05(木) 20:22:10|
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