泣けるまぁちゃんねる

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「母からの手紙」

ソチオリンピックにて、見事個人で銀メダル、団体で銅メダルに輝いたスキージャンプの葛西選手


日本選手団の主将を務め、さまざまなプレッシャーの中での活躍に感動しました


そんな葛西選手を支えた話しを紹介します




母からの手紙
「絶対におまえは世界一になれる」


葛西選手は94年のリレハンメル五輪の前年に妹さんが再生不良性貧血という重病にかかりました


辛い治療を何度も受けたりドナー探しで大変だったと思います


妹のためにもぜひ金を取りたいと思っていたんですが残念ながら銀メダルでした


でも、妹さんは病気をおして千歳まで迎えに来てくれたそうです


葛西選手は、それまで誰にも触らせずにおいたメダルを、1番に触らせてあげたそうです


元気になってくれ、という願いを込めていたそうです


その時「ありがとう。次は金だよ」って
逆に励まされましたそうです


病気の妹に比べれば、自分は何も辛いことはない


そんな妹を支えに、98年の長野五輪へ
向けて気持ちを奮い立たせました


ところが94年の11月、大会で転倒して鎖骨を折り、しばらく跳べない状態が続きました


翌年の5月頃、ようやく完治して、ブランクを埋めるためにそれまで以上に猛練習に励み、通常なら300本跳べば十分といわれる夏に、900本跳んで再起を賭けたそうです



しかし、それが逆に災いして、その冬のシーズンで今度は着地の時に足を骨折してしまいました


練習のし過ぎで、腰や股関節に負担をかけ過ぎたのが原因でした


それから1年半くらい記録と遠ざかっていたんですが、そんな折に実家が放火に遭いお母さんが全身火傷で病院に担ぎ込まれた


なんとか一命は取り留めたんですが、火傷は全身の70%にも及んでいて、炎の熱で肺も気管も焼けていました


何度も皮膚移植を繰り返したんですが、97年の5月に亡くなってしまいました


後から入院中にお母さんの書いた日記が出てきたそうです



葛西選手はそれを開くと今でもポロポロと涙が出てくるそうです


ああ、辛かったんだろうなあって 


貧乏と闘いながら必死で働いて僕たちを育て、ジャンプまでやらせてくれた母には、いくら感謝をしてもし足りません



金メダルを取って家を建ててあげる
約束を果たせなかったのが、
本当に残念でしょうがなかったそうです


入院中の母は、もう手も握れないくらい
ひどい状態でした


痛みは絶えず襲ってくるし、死の恐怖と必死に闘っていた


そんな中で、不調な僕を気に掛けて、励ましの手紙を送ってくれたんです


そこに書かれていたことは




「いまこの時を頑張れ。絶対におまえは世界一になれる。お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ。」と


いまでも大事な大会の前にはこの手紙を読み返しているそうです


見るたびにものすごく
大きな力をもらえるそうです
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  1. 2014/02/18(火) 13:34:17|
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クロスカントリー

先日行われたソチオリンピック

いろいろ話題になった中で素敵な話しを紹介します




2014年02月11日に行われたクロスカントリー男子スプリント競技

ロシア代表のアントン・ガファロフ選手がレース中に転倒し、スキー板が折れてしまうハプニングが起こった

ガファロフ選手はそれでも立ち上がり 、何度も何度も前に進もうとするが、その度にスキー板の破損を悪化させ、終いには木っ端微塵となった・・・

もはやどうすることも出来ない状況の中、突如コース内に誰かが突然侵入してきました

その人は、実はカナダコーチであり、1本のスキー板を持ってコース内に飛び出し、ロシア選手にスキー板を手渡し交換したのである

ファロフ選手は競技を再開し、みんなとは大きく遅れたものの、無事にゴールすることができた

同じチームの選手ではなく、競技では敵チームとなるはずなのに、そのカナダコーチは迷わずスキー板を差し出したのだという

ちなみに、他の選手に道具を貸し与えるのはルール違反ではないので、失格にはならないそうです




カナダコーチへのインタビューで「見ていることができなかった。ロシア代表のガファロフ選手に母国で恥をかかせたくない一心だった」と思いを語ったのだという

素敵な話しですよね、さすがオリンピックですよね

しかし、この話しには続きがあります




実はこのカナダコーチの妻は元アスリートでトリノ五輪のスキー距離女子団体スプリントのチーム員だったそうです

その妻のチームメイトがトリノ五輪スキー距離女子団体スプリントの決勝戦でストックが折れてしまうというハプニングが起こったのだそうです

メダルのかかっている決勝戦

そんな中起こったハプニングによってメダルは絶望的と思われたが、その中でまさかの事態が!なんと決勝戦に出ているノルウェーのコーチがコースに飛び出て、カナダチームに新しいストックを渡したそうです


これだけではありません・・・実はストックが折れていた時にカナダは4位まで後退し、メダルの届かない順位にいました

そして、ノルウェーはカナダよりも前におりメダル圏内でした

このまま放っておけば強いカナダはそのまま脱落して順位を落とし、自国のチームがメダルを獲得するという状況下でストックを手渡したのです

その結果、カナダチームは順位を上げ、銀メダルを獲得

反面、自国のノルウェーチームは4位となりメダルを逃すこととなってしまいました




普通に考えたらオリンピックという大舞台で、メダルにこだわる人間ならば有り得ない行動です

そんな中行動は、まわりから誹謗中傷されることは間違いありません

が、しかしカナダ・ノルウェー両国で話題騒然となり、批判等をするのではなく、このコーチを讃えたそうです

カナダからはこのコーチに7400個ものメープルシロップが送られ、ノルウェー国内でもコーチが支援するガン撲滅慈善団体に270万円もの寄付が行われたそうです




この時のトリノ五輪の恩があったので、ソチ五輪でカナダコーチは飛び込んだのだと思います

さすがオリンピック
スポーツには国境はないですね
  1. 2014/02/14(金) 01:44:03|
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だからいつも笑顔で

今日から、ソチオリンピックが始まりますよね

楽しみです

オリンピック代表の上村愛子選手の話を前回に引き続き紹介したいと思います




ザー ザー ザー ザー


どうしてこんな音がしているのだろう
初めて聞くその変な音は、ちょっぴり恐怖だった。


「愛子、死んじゃうの?」
これは5歳の時に精密検査を受けたときのこと。


~生まれたときからわたしの心臓には穴があいている。
先天性心室中隔欠損症と診断され定期検診を行っていた。
1979年兵庫県伊丹市に生まれたわたし、人から愛される子になって欲しいとつけられた「愛子」
両親は愛子の身体に少しでもいいようにと兄とわたしを連れ空気のいい長野県に移り住む~


「愛ちゃん、スキーしんどい?運動しんどい?」

「全然しんどくない。楽しいよ!」

「だったら大丈夫、人それぞれ顔が違うように身体も違うんだと思えばいいよ。」


~もし、わたしの心臓に穴があいてなかったら、わたしは今頃まだ伊丹市にいたのだろうか?
最初から愛子の運命は決まっていたのかもしれないね。


初めてスキーを履いたのは3歳の時
プラスチックの板だった。
お母さんがいつも雪遊びにつきあってくれた。
それから兄と家で働いていた居候さんと毎日のように滑った。
いつも滑る前に「絶対国体選手になってやる!」と叫んでから滑った。
今思えばこれが呪文のような役目を果たしていたのかな


そして2001年国体に出場。
サブリミナル効果だっけ?違うかな。
小1で白馬へ。
そこではすぐにジュニアのアルペンチームに所属した。




実は転校してから中学生の初めぐらいまで、ずっといじめにあっていた。
練習に行くとわたしのグローブがなくなっていた。
必死で探したら雪がいっぱい中に詰められていて洗濯機の中でぐるぐる回っていたこともあった。
またある日はスキーがなくなっていた 。

やっとのことで探し出すと、ソールが石で削られてボロボロになってゴミのように捨ててあった。
目を疑ったけど正真正銘、わたしのスキーだった。

続けていたのは、やっぱりスキーが楽しかったからなんだと思う。
このことはずっと自分の中で処理するようにしていたんだけどスキー部をシーズン前にやめてしまったことからいじめの存在がわかる。

「愛ちゃんが、人に嫌がらせをされるようなことをしてないという自信があるのなら、そんなことに負けずに、もっと強くなりなさい。」

「用具だけでなく、愛ちゃん自身に危害を加えられるようなことがあれば、お母さんに絶対に言いなさいよ。そしたらお母さんが愛ちゃんを守ってあげる。」




わたしはいじめにあっている子どもたちの気持ちがよくわかる。
彼らが考えていることがわたしにはよく理解できるのだ。
いじめにあっているときの気持ちは、経験してみないと理解できないと思う。
助けを求めて解決できる問題ではない。
そして自分が悪くなくてもどうしようもないときだってあるのも事実だ。
「正義が勝つなんてウソだ。」と思ってたことだってある。
逃げたいばかりに死にたいと思ったこともあった。
死を選ぶことで、この苦しさから逃れられるんじゃないか、楽になれるんじゃないか、そう思ったのだ。
でも、死を選んでもなんの解決にもならないのはわかっていた。
その時は楽になりたくて逃げ出したい一心なのだけれど、その先にあるはずの幸せも、周りの人の幸せも、全て消してしまう。


あのころを思えばわたしはすごく変な性格だった。
あまり笑う子でもなかったし、考え方もかなり危なかった。
でもね、悪いことをしていない自信があったからがんばれたのだと思う。
悲しくて、つらくて仕方ないことだらけでも、強くなってがんばっていれば絶対に誰かが見守ってくれているはず。
もし、今いじめられている子がいたら…
つらい「現在」があっても誰にも平等に笑顔の「未来」があるはずだから。
  1. 2014/02/07(金) 13:31:10|
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