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月光の夏


太平洋戦争末期の話しです
 
佐賀県鳥栖市の小学校へ二人の若い特攻隊員が走ってきました。
 
「自分たちはピアニストを目指していた芸大の学生だったのですが、今は特攻隊の隊員として明日出撃しなければなりません。死ぬ前にどうしてもピアノを弾きたくて、でもどこもオルガンしかなくてこの国民学校に唯一ピアノがあると聞き、基地からここまで走ってきたのです。どうかピアノを貸してくださいませんか?」
 
それを聞いた音楽担当の女性の先生は1冊の楽譜を持ってきました。

ベートーベンの月光ソナタです。この小学校にはドイツ製のフッペルという素晴らしいグランドピアノがありました。先生は空襲のたびにバケツを持ってこのピアノを守っていました。
 
隊員は楽譜をピアノに置くと、1楽章2楽章と弾きつづけました。そして第3楽章が終わったとき、生徒たちから拍手が起こりました。
 
生徒の一人が声をかけました。子供たちにとって絹の白いマフラーをした特攻隊の隊員は憧れだったのです。
 
「僕たちもあとに続きます!」しかし、特攻隊のお兄さんはこう答えました。


 「君たちは行かなくていい。君たちが死ななくてもいいように、お兄さんたちが死んでいくんだよ。君たちは戦争が終わったらこの日本を立て直すんだ。いいね」
 
そうして翌日、飛び立って行ったのです。
 
 
 
 
ドイツの、今はもう無い「フッペル(HUPFER)」というメーカーのピアノで、このメーカーのピアノは日本に2台しかないとのことです。
 
ちなみにもう1台は、偶然同じピアノを使われていた高知の声楽家の方から寄贈されたもので、鹿児島県の知覧町にある「特攻平和会館」に展示されているそうです。
 
 
このピアノを作った「フッペル」というメーカーは、ナチスドイツによって取り壊されてしまったが、「スタインウェイ」は、アメリカ資本だったことが幸いして、アメリカによるドイツ爆撃対象から外れ、工場が焼けずに残ったために、戦後、戦災を被ったドイツの他のピアノメーカーに先んじて、世界中の音楽ホールを一挙に制することが出来たという歴史的経緯があるそうです。
鹿児島の南に知覧という町があります。
 
その特攻基地から飛び立つ戦闘機に近くの女学生が桜の枝を戦闘機に差して見送りします。飛行機が飛び立つと空から桜の花がヒラヒラと落ちてくるのです。そうして羽を3度左右に振ります。これが「祖国よさらば」の合図です。ちょうど富士山とそっくりな形の開門岳が祖国日本の最後の姿なのです。それに別れを告げて、6000人もの若者が沖縄の海に散っていきました。
  1. 2012/08/12(日) 12:35:07|
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