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バスジャック事件が教えたもの

以前世間を騒がせた17歳の少年によるバスジャック事件。

そのバスに同乗していた山口さんという方は、加害者の少年によって刺し傷を負われました。

しかし山口さんは、この事件を教訓に子供たちが加害者にならないための活動をはじめました。

その話しを紹介します。




「バスジャック事件が教えたもの」


山口由美子(不登校を考える親の会「ほっとケーキ」代表)


2000年のゴールデンウイークの5月3日、私は塚本達子先生と一緒にバスに乗っていました。

塚本先生は佐賀市内で幼児教育の教室を主宰され、我が家の子どもたちがお世話になった先生です。

子どもたちは小学校に入る時点で先生の教室は卒業しましたが、人生に関する多くを学ばせていただいた私自身が先生から卒業できず、交流を続けていました。

この日は一緒に福岡にクラシックのコンサートを聴きにいく予定でした。

バスが高速に入ってしばらくすると、一番前の座席に座っていた少年が突然立ち上がり、牛刀を振りかざしてこう言いました。




「このバスを乗っ取る。 全員荷物を置いて後ろへ下がれ」

最初、私はこの少年が本気でバスを乗っ取ろうとしているとは思いませんでした。

声にすごみはなく、まだ中学生くらいのあどけない少年だったからです。

「何を言っているんでしょうね」

という感じで先生を見たら、意外にも大変驚いた様子で固まっていらっしゃいました。

多くの子どもたちと接し、度胸もあって信仰心も篤い先生は、こんなことでたじろぐような方ではないのに…。

乗客は少年の言うことに従い、後部座席へ移動しました。

その時、1人だけ眠っていて事態に気づいていない方がいました。

「おまえは俺の言うことを聞いていない!」

少年は逆上し、その人の首を刺したのです。

その時初めてこの子は本気なのだと気づきました。

しばらくすると、乗客の1人が「トイレに行きたい」と言い出し、少年はそれに応じて、バスは道路の路肩に止まりました。

その方は1人で降りていかれましたが、おそらく通報されたのでしょう、バスの前に乗用車が何台か止まり始めました。




気づいた少年はさらに逆上し、「あいつは裏切った。これは連帯責任です」

と言いながら、一番近くに座っていた私の顔を牛刀で切りつけました。

とっさに両手で顔を覆うと、今度は手を切られ、次は首、次は…。

何か所刺されたかは分かりません。

あちこちを切りつけられ、私は通路へ転がり落ちてしまいました。

しかし、その時私はこう思ったのです。

ああ、彼の心は、この私の傷と同じくらいに傷ついていたのだ。

そんな少年を殺人者にするわけにはいかない。

なぜ、そんな思いが湧いてきたのか、それはいまだに私にも分かりません。

しかし、その思いが私の命を守ったのだと感じています。




バスはどのくらい走ったのでしょうか。

うっすらとしか意識がないまま床に座り込み、傷の浅かった右手で体を支え、左手は心臓より高い位置にと思ってひじ掛けに置いていました。

そうして数時間が経過した頃です。

バスの速度が落ちたのを見計らって、2人の乗客が窓から飛び降りました。

すると少年は「連帯責任」という意味なのでしょう、塚本先生を2回刺しました。

倒れ落ちる先生を見ながら、私は直感的に「突っ伏したら死んでしまう」と思いました。

「先生、起きて!」と心の中で何度も叫びましたが、自分の体もままならず、どうすることもできませんでした。

広島に入り、パーキングエリアでバスは止まりました。

少年と警察とのやり取りが続いていましたが、詳しくは分かりません。

しかし、怪我をしているということで私は他の乗客の方よりも先に窓から救出されました。




助かった。

その瞬間はそれしか思い浮かびませんでした。

極度の緊張感から解き放たれた私は他の乗客の皆さんのことにも、一緒にいた塚本先生のことにも思いが至りませんでした。

痛い、つらい、怖い、そういうすべての感情が固まって押し寄せ、訳が分からない状態です。

搬送される救急車の中で「もう1人の方はダメだったみたいだなあ」

と職員同士の会話を聞いた時、「そうか。塚本先生は亡くなったんだ…」と、情報だけが体の中を通り過ぎていきました。




塚本先生との出会いは、一番上の息子が4歳の時にさかのぼります。

小学校の教員だった先生は、偏差値教育や受験戦争など現代の学校教育のあり方に疑問を感じて退職。

独自に幼児教室を主宰され、「この世に生まれて初めて出会う教師は母親である」という考えから、子どもたちとお母さんのための教育に専心しておられました。

先生は常々「子どもは自ら育つ力を持って生まれてくる。 大人はそれを援助するだけでいい」とおっしゃっていましたが、この教えが私の子育ての指針となり、特に娘が不登校に苦しんでいた時代には大きな支えになりました。

娘は小学校の時に不登校となり、その後は通えたものの、中学に入るとまた行けなくなってしまいました。

一番苦しいのは娘だと分かってはいるものの、周囲から子育てが悪かったからこうなったと思われたり、この子の将来はどうなるんだろうと不安になったりと、親として娘を受け入れられない時期もありました。

しかし、「子どもには自ら育つ力がある。大人はそれを援助するだけ」という塚本先生の教えがあったからこそ、娘が自分で立ち上がるまで待つことができたのではないかと思うのです。

事件から1か月半、私は広島の病院に入院し、治療とリハビリに励みました。

結局、私は少年によって10数か所刺され、場所によっては、あと少し傷が深かったら死んでいたかもしれないとお医者様は言いました。

私自身、もしも床に倒れていたら、間違いなく出血多量で死んでいたと思っています。

それゆえ、事件の直後は体のあちこちが張り裂けるように痛く、あまりのきつさに、いっそあの時死んでいればよかったと思うほどでした。

時間がたつにつれ、少しずつ加害少年の素性は私にも伝えられました。

少年は娘と同じ17歳、高校は不登校の末、退学…。

「ああ、彼も苦しんでいたんだ」と思いました。

バスの中で、少年が最初に逆上して言ったあの「俺の話を聞いていない!」という言葉。

きっと彼は十七年間、ずっと心の中で「話を聞いてほしい」と訴えていたのでしょう。

しかし、それに耳を傾けなかった周囲の大人たち。

少年は事件によって加害者になりましたが、それまではずっと大人社会の被害者だったのだと感じたのです。




その後、山口さんは「彼にも居場所があったら、こんなことにはならなかったかもしれないね」という友人の言葉を聞いて、小学校に通えない子供や、成人して引きこもってしまった人などのために、親子の居場所づくりを目指す会を立ち上げられます。




死後、塚本先生は私やご遺族に1つの言葉を残されました。

「たとえ刃で刺されても恨むな。恨みは我が身をも焦がす」

これは事故の直後に、先生のご子息が「母の財布に入っていたおみくじの言葉です」と言って教えてくれたものでした。

「母は遺された者たちの心のありようまで示唆して逝ってくれました」とおっしゃった時、あの日の先生の驚いた様子を思い出し、もしかしたら先生はきょうここで、ご自分の命が尽きることを察知したのかもしれない。

そう思いました。

少年によって深い傷を負い、いまも傷あとや後遺症が残る私が、恨むどころか、少年のほうが被害者だと主張するのを聞いて、「山口さんは強い」とおっしゃる方もいます。

しかし「恨みは我が身をも焦がす」という言葉を思うと、実は私は楽な生き方を選んだのではないかと思うのです。

そして、すべての出来事には意味がある。

事件もまた、私にとっては必要な出来事だったと受け止めています。
  1. 2012/09/21(金) 09:49:40|
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