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奇跡のレストラン

特別養護老人ホームに入居して5年目を迎える祖母の、初めての大きなワガママだった。

「レストランでレモンステーキを食べたい」。

かなり重度の認知症を患い、下半身も車椅子生活の祖母の言葉に、私はとても驚いてしまった。

果たして本当にそう要求しているのだろうか、それともたまたま口から出た思いつきの言葉なのだろうか。

不幸にも私は両親を既に亡くしていて真意を確認する方法はなかった。

4歳上の兄が遠い北海道にいることはいるが、そんな言葉に取り合ってくれるのかという不安があった。

久し振りの電話の向こうの兄は意外にも真面目な口調だった。

「本気なんじゃないの?ばあちゃんは昔、ベースのEMクラブで働いていたらしいから、きっとその頃に戻っているんじゃないかい?」

初めて聞いた祖母の職歴に私は少し動揺していた。

「ベースの・・・・・?」

そう、確かに私を含めて祖母も出身は長崎県の佐世保市。

米軍基地でにぎわう街。

基地のことはみな「ベース」と呼び、その中にある将校クラブは確かにEMクラブと言っていた気がする。

幼い私も両親に連れられてステーキだのハンバーグだのを食べさせてもらっていた。

でも、祖母がその店に働きに行っていたなんてことはまったく知らなかった。

しかし、そう言われて思い返してみると祖母は私達のおやつ代わりに「ホットドック」や「ピザ」をよく作ってくれていた。

私は今まで、単に佐世保の人間は街角でもどこでもホットドックを食べるのが当たり前だと思っていた。

しかしよく考えてみると、家庭でそれを作ってくれていたのは少々不思議なことであって、気づかないのがおかしいくらいだ、何と言っても昭和40年代後半のことなのだから・・・

じゃあ、きっと祖母がレストランに行きたいというのは本心なのだ。

記憶がまだらになっていて現在のことは何一つわからないのに、遠い昔の話はとてもよく憶えていたりする。

認知症独特な症状なのだろうけど。
2007年、夏前頃から急に弱り出した祖母、その口から「レモンステーキ」が出る回数が増え出したのも事実・・・。

佐世保に連れて行くべきなのだろうか。

主治医に遠出の件をそれとなく話したら、「生命を削るかもしれない」と、重い言葉が返ってきた。

最近は食も細くなって、おかゆも数口しか食べなくなっていた。

「レモンステーキ・・・・か」。

主人に話をして、どうにかならないかと考えてみた。

「『H』に相談してみるかい?」

その店は私達家族がよく行く街の洋食屋。

夫婦でやっている店で、オムライスやハンバーグランチがおいしくって娘たちにも人気の小さな店のこと。

「レモンステーキですか?」

オーナーシェフは深く考えこんでしまった。

長い私の話を聞いてくれ、腕を組みかえながら「しばらく考えさせてくれませんか?」と言われた。

その頃の私は半ばあきらめかけていた。

祖母もベッドの上での生活が1日の大半を占めるようになっていた。

そばで白髪をなでつけてあげていると薄い布団から両手を宙に出し、眼で追いながら両手を動かし、何かを言いかける。

宙で編み物でもしているかのように両手を交互に動かしていた。

口は相変わらずモゴモゴと。

一体何を・・・・?動作の意味がわからないまま日数だけが経っていった。

家で『H』のオーナーからの電話を受けた主人が明るい声で私に叫んだ。

「レモンステーキ!作ってくれるらしいよ!」

それは3日後のお昼に3名様のお席を用意できます。

という嬉しい電話だった。

日曜日の忙しいときなのに奥側のゆったりしたスペースを私達のために空けてくれたオーナーに感謝しながら、車椅子を押して入って行った。

「予約席」と記された広いテーブルには、白いテーブルクロスがかけてあり、真白い皿を中央に、その左右には銀色のフォークとナイフが数本ずつ並べてあった。

足の長いグラスとともに、この店は普段、お箸で食べられる洋食屋なのに・・・。

それに祖母は両手が上手く使えない、そう思ったときだった。

祖母が両手でフォークとナイフを取り、嬉しそうに笑ったのだった。

折りたたんであった布ナプキンも広げて胸元に挟み込んで。


「お待たせいたしました、レモンステーキです」

オーナーみずから運んでくれた熱い鉄皿の上には、薄切りの牛肉がバターの香りに包まれてジュウジュウと音を立てていた。

かたわらにクシ型に切られたレモンが添えられて。

祖母はサッとレモンを手に取ると肉の上から汁を絞りかけはじめた。

唖然とする私達の目の前で銀のフォークとナイフで肉を切り始めた。

「あ、あの手つきは」

そう、ベットの上で動かしていた両手はまさに肉を切る様子だった。

重いフォークも気にせず祖母はみるみるうちに肉を食べてしまった。

残った皿の汁にパンをちぎってはつけておいしそうに食べていた。

何と言う・・・・

「オーナーこれは・・・どうして?」

私の質問にオーナーは少し照れたように話してくれた。
私からの依頼の後、考えて考えた、結局佐世保の米軍基地に尋ねてくれたというのだ。

古くからのレシピは今も受け継がれていて、快く教えてくれたという。

テーブルの配置もすべて昔のEMクラブの通りにしてくれたのだと。

「あ、そんな・・・ ありがとう、ありがとうございます。」

私は涙で声も出なくなっていた。

こんなにおいしそうに食事をしている祖母を見たのは初めてだった。

主人と共にレモンを絞って酸味の利いたステーキを口に入れた。

その途端、私の中の涙の栓が抜けてしまっていた。

「早く食べないと冷めるから」祖母のしっかりした言葉が何度も何度も私の心の奥に響いていた。

常連でもない私達の無理な願いに数十倍ものお返しをしてくれたオーナーシェフ。

その優しさと人柄は私の心から一生消えない思い出となった。

祖母との外食は悲しいかな、あの日が最後となってしまった。
あのレモンステーキをほおばった祖母は、あの1日のためだけにすべての力を使っていたかのように見えた。

遠い昔のEMクラブでレモンステーキを食べていた祖母があの席にいたのだと思う。

人生にはきっと何度かは奇跡ということがあるのだろう。

そして、その奇跡を与えてくれる人が存在することを私は確信している。私もいつの日か、誰かのために奇跡を与えてあげられたら・・・・

はにかんだ笑顔のオーナーシェフのように。

ありがとう。

祖母はとても幸せです。

これほどまであたたかい料理をいただいたのは初めてです。

本当にありがとう。




ぐるなびの、飲食店での感動体験を一般の方々に広く公募した、「オソトdeゴハン」感動体験エッセイコンテスト。

724作品の中から選ばれた山口美亜紀さんの、最優秀作品です。
  1. 2012/11/11(日) 11:11:11|
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